道路公団の藤井元総裁を覚えていらっしゃいますか。辞めさせことができるのなら、辞めさせてみろという態度や発言に驚き、違和感を感じた人が多かったのではないでしょうか。
その道路公団ですが、読売新聞の記事によれば、「天下り、政府方針“逆用”で代表取締役3倍増」となったそうです。懲りない人びとですが、別に政府方針に逆らったわけではありません。
政府方針は天下り社長総退陣でした。扇さんと国土交通省が決めたことです。だから、蓋を開けてみると「日本道路公団からファミリー企業への『天下り社長』は、この2年間に60人から17人に減ったものの、社長以外の『天下り代表取締役』が17人から51人と3倍に増え」、社長より給与の高い取締役もいるということになりました。
ほんとうに知恵がよく働きます。決められたことの範囲のなかで創意工夫する能力はさすがに官僚です。きっとご本人たちは決められたようにやっているのだから問題はないと信じ、わびることなくやっているのだと思います。しかし、普通、世間ではそれを「悪知恵」といい、「国民への背信行為」といいます。
考え方や解釈が全く違う世界の人たちなのです。社会保険庁も同じでした。本来は国の税金歳出を抑えるために特別措置法で定められた「事務処理費」でしたが、ものの見事に豪華な研修施設に、とんでもない安い家賃の職員住宅に、安く職員に払い下げるための公用車に、また遊興費にと湯水のように使われ続けてきました。認められているから使ったのです。決められたことをやっているのだから何が悪いという藤井元総裁の態度も頷けます。

問題ははっきりしています。なにを目指して働いているのか、なにが仕事であり、なにが評価され、なにが正しいことなのかという考え方が普通の人たちとは違うということです。これは霞ヶ関の官僚でも同じことだと思います。
普通の企業は、仕事の結果は売り上げや利益として業績という結果にあらわれてきます。直接的であれ、間接的であれ、その結果は株価を動かし、また社員の人たちの所得にも反映します。いくら頑張った、働いたといっても結果が出なければ株価も所得も下がります。だから、より高い生産性をあげて、売り上げや利益をあげようという動機が当然のように生まれてきます。

しかし、税金を使う人たちは、生産性や行ったことの結果を評価するしくみがありません。責任は、それを決めた政府であり、また政治家ですから、どのような結果がでようが、自分たちの問題ではありません。無駄な公共事業も財政破綻も、実際に使った自分たちのせいではなく、それを決めた政府や政治家が悪いと考えているはずです。シナリオを描いたのが自分たちでも、決めたのは政治家だから政治家が悪い、きっとそう考えているのです。
官僚は決められたことをきちんとやっていれば、仕事をしたことになります。頑張っても、昇進は最初の公務員試験の成績で生涯が決まっていますのでしかたありません。つつがなく、リスクをおわずに過ごし、できるだけ条件のよいところに天下りできればいいのです。たまに、正義感に燃える官僚もでてきますが、個人の問題なので組織全体からすれば、たんなる誤差の範囲で生まれてきた突然変異にしかすぎません。
こういった官僚体質は、官僚になる人たちが特別な人種だから生まれているのではなく、特別な制度や組織のなかにいるから生まれてくるのです。簡単かつ当然なことです。
自信を持って言います。一度、税金を使う側の組織の、ひとつの事務処理にかかっているコストを計算してみて下さい。恐ろしい数字になるはずです。もちろん国や地方がやることの全てが投下した資金に対する結果の効果や効率で考えて良いというものではありませんが、業務の中には効果や効率が求められるものもあります。
公務員の人たちからすれば、自分たちは働いているという意識だと思います。しかし、結果が出ていなければ、民間では働いたことになりません。決められた業務を決められた時間だけやることが評価されるのであれば、労働基準法の範囲も超えて働き続けている零細企業の人たちはみんな大金持ちになっているはずです。
こういった考え方や仕事のしかたを根本から変えていくには根本から制度を変えるしかないと思います。監視であり評価のしくみをつくることだと思います。それとアウトソーシングを大胆に進め、競争するしくみをつくることだと思います。世の中に完璧なしくみというのはありませんが、組織は揺さぶらないと古い殻から抜け出せないし、活性化もしません。
しかし、根本から制度をかえようとすると、都合の悪い政治家もでてきます。やはり政権交代で利権を引っぱがしていかないとだめなんでしょうか。

↓おひとり、おひとつのクリックが元気の素になっています。

 人気blogランキング

ありがとうございます。(^_^.)