今日は2つめの投稿です。オフィスには出ていますが、完全休養宣言!明日も仕事だからです。
朝は、針灸院に行ってきました。生まれて初めての体験です。効果があったのか、体調がGOODです。

なぜ、マズローを持ち出したのかですが、このサイトで、今週は、金井壽宏先生の著作を推薦しています。その中に金井先生の監訳で、マズローの『完全なる経営』という本がありました。さっそく本棚を見たらありました。読んだ形跡はあるのですがほとんど内容を覚えていなかった本です。
マズローといえば、『欲求5段階説』で有名です。もうずいぶん古い話題なので、もう関心のある人はいないだろうなと思って検索したら、掲載しているサイトがいっぱいありました。驚きです。
それらのサイトで『マズローの欲求5段階説』になんの疑問もなく、人の欲求は、あたかもそういうものだと解説している人たちへの素朴な疑問を書いてみます。
ご存じない人のために、『マズローの欲求5段階説』を簡単に説明すると、人間の欲求は、5つの階層(ヒエラルキー)があり、

?生理的な欲求(Physiological Needs)が満たされると、
?生命や生活の安全を確保したいという欲求(Safety Needs)に移り、
?さらに、その上位に、愛したり愛されたい、またなにかに帰属したいという欲求(Belonging Needs)、
?尊敬されたいという欲求(Esteem Need)があり、それらのすべてが満たされると
?自己実現への欲求(Self-actualisation)が生まれてくるといいう説です。つまり、欠乏しているものを満たそうという低次元な欲求(Deficit)から、次第にどうありたいか(Beeing)という高次元な欲求に向かうという考え方です。

一見もっともそうですが、なんかインチキ臭いですね。『完全なる経営』の金井先生の前書きでもふれられているのですが、いったい『自己実現』とは何かです。難しいですね。
説明できるでしょうか?説明できない言葉で、ばっさり片づけるのは乱暴ですし、そもそも人間の欲求が、そんな風にきれいに分かれるものなのかということも、しっくりきません。
(とはいえ、私も若い頃に、この説で企画書を書いたことがあり、今や冷や汗ものです ^.^; )

疑問を並べてみましょう。

■仏陀とかキリストとか、歴史に残る高僧、哲学者、文学者、芸術家などのすべての人たちが恵まれた環境、つまり生きるための欲求が満たされる環境にあったのかという疑問です。
いわゆる『悟り』を開いた人たちは、食べ物も十分でなく、安全でもなく、さまざまな迫害にも遭遇するなかで、崇高な『悟り』の境地に達しています。そんな『悟り』を見いだそうとする崇高な欲求は、自己実現に向かう欲求とどう違うのでしょうか。

■旅行好きは、なぜ文明が発達していない地域を好むのでしょうか?優越感でしょうか?
かつて読んだ本でタイトルは忘れましたが、「大草原で夕日に向かって笛を吹いている遊牧民の少年の姿には、文明社会が失った崇高なものを感じる」というような事が書いてありました。
必死にならないと生存できない過酷な生活の中で暮らす人たちの方が、かえって豊かな感性を持っていたり、家族や部族への深い愛とか強い帰属意識があったりします。
豊かな都市生活、文明生活で失った、そういう心の豊かな世界を体験し、新しい自分を見いだしたいから、そういった地域へ旅行するのではないでしょうか。


マーケティング的な視点からの疑問です。

■生活が豊かになってくると、「安全」へのニーズはさらに高まり、保険・警備などの市場が、どこの国でも伸びきているのはなぜかです。

■「食べる」という欲求は、もっとも下位ののレベルにあるはずですが、なぜグルメな生活というのがあるのでしょうか。グルメな生活は『自己実現』の欲求なのでしょうか。

■バーチャルなゲームで『遊ぶ』という欲求は、どの段階の欲求なのでしょうか。きわめて高度な文明がつくりだした欲求です。

疑問を書き出したら、きりがありません。
人の欲求を考える一つの視点として、『マズローの欲求5段階説』を取り上げることは、いいことだと思います。さまざまな視点を参考にして、私たちは『自分の頭』で考え、自分なりの視点を見いだしていくのですから。
しかし、それが、あたかも『定説』として説明されたとたん興ざめです。なんでもかんでも『定説』だと主張していた怪しげな宗教家と変わりないような気がします。

今日はちょっと辛口に書いてみました。

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