昨今は、カタカナの言葉が増えてきて、何気なく使われていますが、言葉の背景には、その社会の文化があり、ちょっと吟味してみると、違った視点が生まれてくることがあります。
先週、新幹線で読んだ週刊誌に面白い記事がありました。SONYの取締役会で、出井会長兼CEOに、社外取締役である日産のゴーン社長が、「2006年度に連結営業利益率10%(金融分野を除く)を達成できる体質を築く」というSONYグループの経営目標は、「コミットメントなのか」と質問されたそうです。
「コミットメント」は、軽く訳すと「関わること」とか「約束」ということですが、契約社会ならではのニュアンスを含んでいます。「コミットメントなのか」という一言の中に、「本気で取り組んでいますか。責任をお取りになる覚悟でおっしゃっているのでしょうね」といった意味合いを含んでいたのだと思います。
契約社会は、「約束」によって社会が成り立っているわけですから、「約束」には「責任」がついてまわってきます。「それを目指しています」というだけでは「コミットメント」ではなく単なる「キャッチフレーズ」になってしまい危なっかしくて契約できません。
先週、新幹線で読んだ週刊誌に面白い記事がありました。SONYの取締役会で、出井会長兼CEOに、社外取締役である日産のゴーン社長が、「2006年度に連結営業利益率10%(金融分野を除く)を達成できる体質を築く」というSONYグループの経営目標は、「コミットメントなのか」と質問されたそうです。
「コミットメント」は、軽く訳すと「関わること」とか「約束」ということですが、契約社会ならではのニュアンスを含んでいます。「コミットメントなのか」という一言の中に、「本気で取り組んでいますか。責任をお取りになる覚悟でおっしゃっているのでしょうね」といった意味合いを含んでいたのだと思います。
契約社会は、「約束」によって社会が成り立っているわけですから、「約束」には「責任」がついてまわってきます。「それを目指しています」というだけでは「コミットメント」ではなく単なる「キャッチフレーズ」になってしまい危なっかしくて契約できません。
正確には覚えていませんが、一国の首相が「そんな公約は、やらなかったからといってたいした問題ではない」という趣旨の発言を大胆になさっても、たいして問題にならない国ですから、「約束」の重みが違うのだと思います。ちなみに、SAPという会社の「協業のためのコミットメント」というページを見ると、コミットメントが責任を明確にすることだというのが感じ取れます。
日本にも「武士に二言はない」という文化があったはずですし、古い会社の社是にも、「信用第一」とか「誠実」が掲げられ、約束を守ることの大切さを伝えているものが多いのですが、そういった約束をなにがなんでも守るという重みとか価値観が薄れてきているのかもしれません。
話は変わりますが、「責任」というと「リスポンシビリティ」というカタカナが浮かんできます。
これもずいぶん日本流の「責任」とは違いを感じます。「責任」という言葉には、「責任のある行動をとれ」とか「自由にやるのはいいが、責任はとれるのか」といった行動を抑制する圧力のようなものが含まれていることが多いですね。
「君に任せているのだから、思い切って自由にしていいよ」というほうが、どちらかというと気持ちいいと思います。元気が出てきます。それが権限委譲です。権限委譲するほうは、任せる「責任」をとる勇気も必要ですから、緊張感がでてきます。
「リスポンシビリティ」はどちらかというと後者のほうです。もともとが、「リスポンスする」(対処する)+「アビリティ」(能力がある)という語源で成り立っていますから、「それは私のリスポンシビリティだ」というと、「その件に関しては、対処する能力が認められており、責任を果たす権限を私が持っているので、あんたは口出しするな」という場合もあるわけです。
話を戻しましょう。「コミットメント」ですが、「コミットメント」の動詞は「コミット」です。とてもいい言葉だと思います。仕事に「コミット」するというのは、「自分自身」と「仕事」の「関わり」を自発的につくっていくということです。押し付けられるのではなく、自ら「リスポンシビリティ」という「問題解決能力」を磨いていくことだと思います。仕事は、まずは自分自身の価値を広げていくためのものであって欲しいですね。そうでないと、それこそ、いくら会社と約束しても、本気になれません会社に対する約束としての目標も「キャッチフレーズ」になって、「コミットメント」にならないですね。
↓クリックしていただければ幸いです
人気blogランキング
日本にも「武士に二言はない」という文化があったはずですし、古い会社の社是にも、「信用第一」とか「誠実」が掲げられ、約束を守ることの大切さを伝えているものが多いのですが、そういった約束をなにがなんでも守るという重みとか価値観が薄れてきているのかもしれません。
話は変わりますが、「責任」というと「リスポンシビリティ」というカタカナが浮かんできます。
これもずいぶん日本流の「責任」とは違いを感じます。「責任」という言葉には、「責任のある行動をとれ」とか「自由にやるのはいいが、責任はとれるのか」といった行動を抑制する圧力のようなものが含まれていることが多いですね。
「君に任せているのだから、思い切って自由にしていいよ」というほうが、どちらかというと気持ちいいと思います。元気が出てきます。それが権限委譲です。権限委譲するほうは、任せる「責任」をとる勇気も必要ですから、緊張感がでてきます。
「リスポンシビリティ」はどちらかというと後者のほうです。もともとが、「リスポンスする」(対処する)+「アビリティ」(能力がある)という語源で成り立っていますから、「それは私のリスポンシビリティだ」というと、「その件に関しては、対処する能力が認められており、責任を果たす権限を私が持っているので、あんたは口出しするな」という場合もあるわけです。
話を戻しましょう。「コミットメント」ですが、「コミットメント」の動詞は「コミット」です。とてもいい言葉だと思います。仕事に「コミット」するというのは、「自分自身」と「仕事」の「関わり」を自発的につくっていくということです。押し付けられるのではなく、自ら「リスポンシビリティ」という「問題解決能力」を磨いていくことだと思います。仕事は、まずは自分自身の価値を広げていくためのものであって欲しいですね。そうでないと、それこそ、いくら会社と約束しても、本気になれません会社に対する約束としての目標も「キャッチフレーズ」になって、「コミットメント」にならないですね。
↓クリックしていただければ幸いです
人気blogランキング
![]() 美味しい飲み比べセットあります。酒米王様「山田錦」で仕込んだ至高の飲み比べ違いを感じてみ... |
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。