今回の、大活躍してくれている日本のオリンピック選手に共通しているのは、「挫折の経験」だと書きました。誰もすすんで「失敗」はしたくないですし、「挫折」の屈辱を味わいたくないですが、実際は「失敗」や「挫折」から私たちは多くのことを学んでいます。「失敗」や「挫折」を経験し学んでこなかった人は心の強さも心の魅力も持てません。だから人に対しても冷たいのです。そういえば、ハードボイル小説で「強くなければ優しくなれない」というような言葉があったのを思い出しました。
今回のオリンピック選手で活躍した人たちは、「挫折」を見事に学んできたと思います。だから、「自分と闘った」「自分を出し切ることに集中した」と語った言葉の中にそのことを感じることができます。本当にメンタルな強さを見せつけてくれました。
しかし、失敗や挫折を正面から受けとめられない人たちもいることも事実です。逆恨みの犯罪、頂点にたって人々を支配しないと満足できないという権力欲、偏狭なナショナリズムは「失敗」や「挫折」で傷ついた自尊心が生みだすといわれています。
今回のオリンピック選手で活躍した人たちは、「挫折」を見事に学んできたと思います。だから、「自分と闘った」「自分を出し切ることに集中した」と語った言葉の中にそのことを感じることができます。本当にメンタルな強さを見せつけてくれました。
しかし、失敗や挫折を正面から受けとめられない人たちもいることも事実です。逆恨みの犯罪、頂点にたって人々を支配しないと満足できないという権力欲、偏狭なナショナリズムは「失敗」や「挫折」で傷ついた自尊心が生みだすといわれています。
「失敗」や「挫折」を学ぶことがいかに大切かを扱った本があります。「失敗の本質」です。戦争に正当性があったかどうかという不毛な議論ではなく、満州でのソ連軍との会戦から沖縄戦に至るまで、どこに旧日本軍が負けた原因があるのかを分析している本です。会社の経営のヒントにもなる名著です。
旧日本軍は、失敗を認めたがらなかった。失敗を認めないから、過去の成功体験をひきづったまま暴走してしまいました。時代にあわなくなっても、巨艦主義を引き継ぎ、「大和」や「武蔵」の悲劇を生みました。疑問を投げかけられても、自分自身の頭で答えられないので、天皇に背くことだ、非国民だという身勝手で不思議な思想で抹殺してしまいました。
対局にあるのがマッカーサーです。真珠湾で攻撃を受け、その責任をとらされます。降格させられるのです。しかしその後、海兵隊という新しいコンセプトを生み出してミッドウェイで復活します。現代でも、アメリカの社会は、失敗からはい上がる敗者復活戦を認めるという風潮があります。それが多くのベンチャーを生み出す原動力ともなりました、日本はいまなお敗者復活は極めて難しい社会です。
日本は、旧日本軍の「失敗」や「挫折」から目をそらすという風潮は現代にも脈々と流れていまるように思えます。マスコミも他人の失敗はとことん叩きます。そのくせ自分自身の間違いは認めません。
学校でも優劣をつけることから逃げ、子供達から「失敗」や「挫折」を学ぶ権利を奪っています。いくら成績や運動会で「失敗」や「挫折」から子供を保護しても、毎日の生活の中で、また受験で、さらに社会人にでると「失敗」や「挫折」の罠はいくらでも待ちかまえています。「失敗」を「挫折」に強くなるには、たくさんの小さな「失敗」や「挫折」を経験して、心の免疫をつくるしかないのに、それを直視しないのです。
「失敗」や「挫折」を受け止めることができない人たちの存在は時として大きな不幸を生みます。ヒットラー、その腹心のゲッペルツ、スターリンといった大量虐殺に走ったひとびとに共通するのは、傷ついた自尊心、コンプレックスです。ネット社会の中で、他民族を蔑視することばを平気で書く人たちも、自尊心が欠けているのです。日本人としてほんとうに恥ずかしいことです。
今や時の人となったナベツネさんも、その生い立ち、受験の失敗や共産党員時代の挫折などが報道されていますが、結局は心のトラウマを癒すために、頂点に立つことだけに人生をかけてきたのではないでしょうか。自分の立場しか考えられない。だからファンも、選手も平気でないがしろにできるのだと思います。さらに、プロ野球界の危機を自ら作ってきたにもかかわらず、結局は不正が指摘されたとたんに、申し訳程度の言葉を残して逃亡したままです。「失敗」や「挫折」をきちんと学んでこなかった、だから本当の意味での自尊心がもてず、問題を直視したり、過ちを自ら認めるという勇気がないのだと思います。
そこで提案です。「失敗」や「挫折」の免疫トレーニングをしてみませんか。一月に一度、明るく「失敗」と「挫折」を語る会を開いてみてはいかがでしょうか。一月にひとつ「失敗」や「挫折」をつくる運動でもいいですね。明るく語って、明るく学ぶ会です。そうすると次第にリスクにも強くなってくるから不思議です。
きっと僕なんか、一月ひとつではすまないでしょうね。現実を知っている人からは、ちょっと「失敗」と「挫折」ばかりじゃないと笑われそうです。でもいいのです。今日もひとつブログの原稿を書き上げました。関係ない?そうですね。
↓おひとり、おひとつのクリックが励みです
人気blogランキング
ありがとうございます。
(^_^.)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究
旧日本軍は、失敗を認めたがらなかった。失敗を認めないから、過去の成功体験をひきづったまま暴走してしまいました。時代にあわなくなっても、巨艦主義を引き継ぎ、「大和」や「武蔵」の悲劇を生みました。疑問を投げかけられても、自分自身の頭で答えられないので、天皇に背くことだ、非国民だという身勝手で不思議な思想で抹殺してしまいました。
対局にあるのがマッカーサーです。真珠湾で攻撃を受け、その責任をとらされます。降格させられるのです。しかしその後、海兵隊という新しいコンセプトを生み出してミッドウェイで復活します。現代でも、アメリカの社会は、失敗からはい上がる敗者復活戦を認めるという風潮があります。それが多くのベンチャーを生み出す原動力ともなりました、日本はいまなお敗者復活は極めて難しい社会です。
日本は、旧日本軍の「失敗」や「挫折」から目をそらすという風潮は現代にも脈々と流れていまるように思えます。マスコミも他人の失敗はとことん叩きます。そのくせ自分自身の間違いは認めません。
学校でも優劣をつけることから逃げ、子供達から「失敗」や「挫折」を学ぶ権利を奪っています。いくら成績や運動会で「失敗」や「挫折」から子供を保護しても、毎日の生活の中で、また受験で、さらに社会人にでると「失敗」や「挫折」の罠はいくらでも待ちかまえています。「失敗」を「挫折」に強くなるには、たくさんの小さな「失敗」や「挫折」を経験して、心の免疫をつくるしかないのに、それを直視しないのです。
「失敗」や「挫折」を受け止めることができない人たちの存在は時として大きな不幸を生みます。ヒットラー、その腹心のゲッペルツ、スターリンといった大量虐殺に走ったひとびとに共通するのは、傷ついた自尊心、コンプレックスです。ネット社会の中で、他民族を蔑視することばを平気で書く人たちも、自尊心が欠けているのです。日本人としてほんとうに恥ずかしいことです。
今や時の人となったナベツネさんも、その生い立ち、受験の失敗や共産党員時代の挫折などが報道されていますが、結局は心のトラウマを癒すために、頂点に立つことだけに人生をかけてきたのではないでしょうか。自分の立場しか考えられない。だからファンも、選手も平気でないがしろにできるのだと思います。さらに、プロ野球界の危機を自ら作ってきたにもかかわらず、結局は不正が指摘されたとたんに、申し訳程度の言葉を残して逃亡したままです。「失敗」や「挫折」をきちんと学んでこなかった、だから本当の意味での自尊心がもてず、問題を直視したり、過ちを自ら認めるという勇気がないのだと思います。
そこで提案です。「失敗」や「挫折」の免疫トレーニングをしてみませんか。一月に一度、明るく「失敗」と「挫折」を語る会を開いてみてはいかがでしょうか。一月にひとつ「失敗」や「挫折」をつくる運動でもいいですね。明るく語って、明るく学ぶ会です。そうすると次第にリスクにも強くなってくるから不思議です。
きっと僕なんか、一月ひとつではすまないでしょうね。現実を知っている人からは、ちょっと「失敗」と「挫折」ばかりじゃないと笑われそうです。でもいいのです。今日もひとつブログの原稿を書き上げました。関係ない?そうですね。
↓おひとり、おひとつのクリックが励みです
人気blogランキング
ありがとうございます。
(^_^.)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究
![]() 美味しい飲み比べセットあります。酒米王様「山田錦」で仕込んだ至高の飲み比べ違いを感じてみ... |
おっしゃっていることには全面的に賛成なのですが、マッカーサー云々のくだりには事実誤認があるようです。
開戦当時、マッカーサーはフィリピン方面の親玉でして、真珠湾攻撃の責任を取らされる立場にはありません。真珠湾の責任を取らされて首が飛んだのは、太平洋艦隊司令官のキンメル提督です。マッカーサーの方は、フィリピンで負けてオーストラリアに引っ込んだ後、1943 年以降に、ニューギニア方面からフィリピンに向けて逆襲に転じます。
あと、海兵隊は太平洋戦争どころか、それよりはるか以前からある部隊で、当初は敵艦への接舷乗り込みや艦内警備をやっていました。現在のような上陸作戦を手がけるようになったのは 1930 年代後半の話で、それを実戦でやったのはガダルカナルからです。もっとも、このときの指揮官はマッカーサーではなかったのですが、後で南西方面の指揮官はマッカーサーということになりました。
ついでに書くと、ミッドウェイ海戦での米軍の指揮官は、海軍のフレッチャー提督とスプルーアンス提督でして、海兵隊はミッドウェイに配備されていた航空機が参加したぐらいです。この両人の上官がニミッツ提督で、こちらは 1943 年以降、海兵隊を使って太平洋の島嶼上陸作戦を展開します。
いい記事だと思うのですが、間違った話で評価が下がってしまってもと思い、書かせていただきました。