今日のフジTV系列の「報道2001」で田中康夫長野県知事が出演し、「コモンズから始まる、信州ルネッサンス革命」について、また現在進められている市町村合併の問題点についての熱弁を振るっていらっしゃるのを聞きましたが、中でも重要なキーワードのひとつは、「現場主義」でした。
長野県では、県の職員が、たんに県庁で待ち構え、市町村のかたがたからの陳情を聴くということから、実際に市町村の現場で赴き、住民の方々と接し、また自分たちの目で確かめて行政を進めることで本当に必要なことはなにかが発見できるようになったということです。
以前にも書きましたが、「現場主義」はマーケティングで一番大切な考え方です。たとえば、どれだけ調査データを集めても、さまざまな統計データを眺めても、現場の変化を体感していなければ、それらのデータが、変化のシグナルを送っていても気づかないでしょうし、データが変化した背景にどんなことが起こっているのかすらわかりません。たんに報告書の体裁を整えるための飾りになってしまいかねません。
官僚化した組織は、データを操るのが上手です。これはこれでたちが悪いですね。大変な時間や労力をかけ、データや資料を集め、分厚く体裁の整った立派な報告書を作成れていきます。どこにも間違いがないように見えます。資料の厚みは、隅から隅まで検討されつくしたのだから間違いございませんという威圧をしているかのようです。しかし、そこには「無謬(むびゅう)のわな」が待ち構えています。
官僚化した人たちの根っこには、現在ある仕組みは間違っておらず、それが円滑にさらに間違いなく働けばよいというという発想が潜んでいます。だから、決まりきった問題を、決まりきった方法で解いているのすぎません。そうして、現実の社会、現実の市場、実際のお客さまの変化と関係なく、仕組みがどんどん膨らんでいきます。そうして、気がついたときには、もう変化に対応できません。
学校なら、与えられた問題を、決められた方法で解いてさえいれば、いい点を取れ、いい学校にも行けるのでしょうが、実際のビジネスやマーケティングは、そうはいきせん。どんどん変化する状況の中で、どんどん問題も変化していきます。それを発見するのは、自分自身の感性です。問題の解き方も自分の頭で工夫するしかありまえん。
学校で成績の良かった優等生の人たちは、精緻な報告書や計画書をつくることは得意でしょうが、自分の感性で問題を見つける能力があるとは限りません。自分で新しいユニークな解き方を発想できるとは限りません。
現場にこそ、真実があり、アイデアの種が埋もれています。カンを磨くためには、現場を体感するのが一番です。
マスコミや雑誌情報をどんなに集めても、これが新しいマーケティングだという書物を読んでも、そこから創造的で生きたアイデアは生まれてはきません。
自分の目と耳を働かしている人の言葉には、イメージのふくらみがあります。「なぜ」なんだろう、「どうすれば」いいのだろうと考え続けている人の
言葉には、力強さと「なるほど」があります。強い会社は、「現場主義」が貫かれています。
まにかに迷ったとき、「現場」に」立ち返ってみるてはいかがでしょうか。