アメリカを代表する象徴的なブランド、ハーレーダビッドソンはトランプ大統領の高関税政策へのEUの報復で厳しい立場に置かれています。さて、ハーレーほどハリウッド映画と深い絆をもった二輪車はありません。ハーレーは、モノを売る前にライフスタイルを売るブランドといわれますが、そういった二輪車の世界観ができてきたのも、映画とは切り離せないのでしょう。こちらのサイトでは75本の映画が紹介されていますが、おそらくすぐに何本かは思い浮かぶというのは、団塊世代前後の人たちか、二輪の世界をこよなく愛する人たちのいずれかかもしれません。
私の場合は、二輪車にも、映画にもそう明るいわけでもありませんが、ハーレーといえば、若い頃に観たアラン・ドロンの「あの胸にもう一度」とピーター・フォンダの「イージーライダー」が浮かんできます。
アラン・ドロン主演の「あの胸にもう一度」は1968年に公開されたイギリス・フランス合作の映画で、マリアンヌ・フェイスフルが全裸で黒革のレーシングスーツをまとう眩しい姿が衝撃的で話題になりました。ハーレーを見事にセクシーな姿に描いた作品でした。・
もし、ハーレーが「あの胸にもう一度」で描かれたように、ただセクシーで官能的なオートバイに終わっていたら今のハーレーはなかったかもしれません。
ハーレーが、束縛から自らを解き放ち、自由気ままに放浪するライフスタイルを象徴する存在として描かれた映画といえば、1979年に公開され、日本でも翌年に公開されたピーター・フォンダの「イージーライダー」ではないでしょうか。
長髪の二人の若者が、ハーレーに乗って、目的もなく気ままにアメリカの田舎を旅する物語です。同じように若者が気ままに旅する映画では、アメリカのルート66沿いの街々を気ままな旅を通した出会いや体験の物語をシリーズ化した「ルート66」がありますが、そこに流れる空気感は全く違います。
「ルート66」は1960年から4年間全米で放映されたテレビ映画で、コルベットのオープンカーでしたが、主役の若者二人は好青年で、その二人のよそ者でも温かく受け入れてくれる心の広いアメリカが描かれています。世界の若者の憧れの的のアメリカそのものです。
しかし「イージラーダー」では、それが一変します。旅する二人の若者たちからは生きる目的を感じません。また旅を通してなにかを得ようという姿勢もありません。ただロックの音楽を背景にハーレーを走らせるだけです。
そして、社会との関わりを拒絶したところで共同生活を営み、マリファナに耽るヒッピーたちが登場します。旅の中で、ジャック・ニコルソンが演じる弁護士ハンセンと出会い、意気投合して三人で旅を続けるのですが、米国の片田舎の社会は、自由できままに生きる彼らを警戒し、冷たく拒絶し排除ようとします。
「ルート66」とは一変し、若者たちが出会うのは、よそ者に冷たく、排他的なアメリカ社会でした。そして、ついには田舎の人たちに殺されてしまう悲劇が訪れます。
同じように若者の旅をテーマにした映画ですが、なぜそこに描かれたアメリカの若者も、社会も大きく変わってしまったのでしょうか。
ベトナム戦争の傷跡です。おそらくこの「イージーライダー」を見ても、ベトナム戦争やベトナム反戦の歴史が見事に消し去られてしまった日本ではこの映画に流れる空気感がよくわからないかもしれません。
この映画に続いて1970年代に、「ディア・ハンター」や「地獄の黙示録」、また1980年代の「プラトゥーン」などのようにベトナム戦争の悲惨さや、べトナム戦争で若者が受けた心の傷の後遺症を描いた作品が登場しますが、「イージライダー」もベトナム戦争当時のアメリカの空気感を伝える映画のひとつです。
当時のアメリカはまだ徴兵制度がありました。突然徴兵され、ベトナムに送り込まれた若者たちは、正義とはかけ離れた、悲惨で非人道的な戦争を体験し、心が病んだ人が少なくありません。そんな理不尽な強要や束縛から逃れ、自由に生きたいという空気が流れていたのです。
いずれにしても、映画「イージライダー」は、ハーレーを、束縛から自らを解き放ち、心地良いエンジンの響きと風のなかを走る二輪車、しがらみのない仲間たちとともに旅を楽しむ象徴的な存在にしたのではないでしょうか。
さて、トランプ大統領のコアな支持基盤は、イージライダーで、よそ者を警戒し、排除しようとした片田舎の人々であり、そんな人たちが暮らす地域です。強い排他主義というのも共通しています。自由なライフスタイルの象徴であるハーレー・ダビッドソンは、もともとトランプ大統領とは、文化そのものが違いすぎます。
戦地で戦った若者が心身ともに傷ついた一方で、トランプ大統領は、ベトナム戦争中に5回徴兵が延期されています。そのひとつは、かかとの軽症にすぎなかったのではないかという疑惑が晴れていません。トランプ大統領らしい姑息な疑惑です。
トランプ大統領が、強いアメリカの象徴としたハーレーと「イージーライダー」が描いたハーレーの自由な世界観はそもそもがまるで水と油だったということです。もしハーレーがトランプが望むような強いアメリカの象徴としての道を選べば、それはハーレーの死を意味するのかもしれません。
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