単刀直入に言って、大相撲が土俵を女人禁制という時代錯誤のしきたりを頑なに守ろうとするなら、公益財団法人の資格を取り消すべきです。税金が免除されるなどの公的な支援を受けながら、土俵が女人禁制とは男女差別であり、社会の規範にあわないどころか、憲法違反の疑いすらあります。それほどしきたりが大切なら、公的な支援を受けず、独立独歩で相撲道を貫くのが潔いのではないでしょうか。
さて、倒れた市長にまさに心臓マッサージで救命をしている看護師の女性に対して「土俵から下りてください」とアナウンスしてしまった恥ずかしい出来事が海外にまで広がっています。
状況を判断できない一部の無責任な野次馬からなのか、それとも相撲関係者からでた言葉だったのかは定かではありませんが、自らの頭で考えず、しきたりだ、伝統だということで思考停止し、「女性を土俵にあげるな」と救命を妨害するとは、洗脳の怖さを物語る心理学のケース・スタディにもなりそうな話です。
もし市長に万が一の事態が起こっていたとすれば、右往左往するだけで、心臓マッサージを妨害した烏合の集たちはなんらかの法的な罪が問われたのかもしれません。
さらに、いつまでたっても女性差別の意識を捨てられない日本を象徴する出来ごとだと、海外メディアからすれば、日本を面白おかしく揶揄できる美味しいコンテンツです。実際のところ、女性の社会進出の遅れは、時代に適応して変わろうとしてなかなか変われない日本をよく物語っています。
そもそも、たんなる土を盛っただけの土俵がなぜの女人禁制なのかがさっぱり理解できません。
土俵が緊張感のある神聖な場、空間になるのは、そこに神が宿っているからでも、女人禁制だからでもなく、力士が全力全霊でぶつかり合い、真剣勝負で競い合っているからです。それはラグビーやサッカーなどのグラウンドも同じです。
その相撲の質が高ければ高いほど土俵の空間的な価値は高まってきます。もし無気力相撲、八百長が蔓延すれば土俵は穢れた場に堕ちてしまいます。つまり神事だからとか、しきたりだから価値があるのではなく、価値は力士たち、それを支える人びとや観客によって生み出され、保っている価値です。
そして、呆然と立ち尽くすだけの男性たちの間を割って入って、その男性たちとは対照的に、果敢に心臓マッサージをはじめ、救命に専心する女性の姿はいかに男尊女卑の意識が間違っているのか、女人禁制のしきたりが馬鹿げているのかを物語っています。
宝塚市の女性市長が宝塚巡業で土俵上からの挨拶を申し入れたことに、相撲協会は丁重に断ったそうですが、しっかり自分の頭で考えてもらいたいものです。
相撲は、日本の魅力あるコンテンツのひとつですが、相撲は神事でも、また国技でもなく、日本独自の立派な格闘技です。相撲が伝統や神事といえばいうほど、怪しくなってきます。
とはいえ、知らず知らずのうちに常識として定着し、疑うことすらなかった価値観から自ら解くことは難しく、監督官庁としての文科省が適切な指導を行うことで解決していくのがいいように感じます。
相撲に限らず、女性の社会進出に関しては、日本が先進国とは思えないほど遅れてしまっているのも、日本の社会の隅々で、差別しているつもりでなくとも、なにげない慣習がそうさせ、自分では気づかないほど差別意識が心の奥に潜んでいるからでしょう。
いずれにしても神事だとか、伝統だとかの言い訳はなしです。今回の件は相撲協会が陳謝したからよかったのですが、それで終わらせずに、文科省にとっては、女性が土俵にあがることの是非を相撲協会に考えさせる絶好の機会、相撲協会にとっては、大きな決断で女性ファンをさらに広げる絶好の機会です。
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