ジョージア出身の栃ノ心が逸ノ城を力勝負で破り1敗をキープしました。今場所後半から人が変わったように強さを見せてきた逸ノ城でしたが、それを上回る栃ノ心の気迫が押し出しました。優勝確実かと勝ち進んでいた鶴竜が思わぬ連敗を重ねたことで、大相撲初場所は栃ノ心優勝の可能性が高まり、土俵を沸かせています。
日馬富士が引退し、白鵬、稀勢の里の両横綱が休場したにもかかわらず初場所は盛り上がっています。しかし、行司の不祥事、春日野部屋の傷害事件、大砂嵐の無免許運転事故などが次々に発覚し、協会の管理能力や体質への信頼もずたずたです。評議会、理事会を始めとした運営・管理組織そのものも、もう体をなしていません。

横綱審議会委員も、このときばかりと白鵬の張り手やかち上げへの批判を披露したのですが、後先を考えずに自分の横綱観を語るだけの評論家ぶりで、なにか今日のマスコミ人の無責任さそのものという印象を受けます。

いわゆる「かわいがり」と称した暴行事件では時津風部屋で犠牲者までだしたにも関わらず、相変わらずのままだということが分かり、ほんとうに懲りない人たちです。いかに「しつけ」や「常識」を教育してこなかったかです。

しかし、相撲の世界の不祥事は別に驚くような話ではありません。時事通信の特集で、主だった事件が取り上げられていますが、いやはや、なにが国技なのか、なにが神技だ、横綱の品格とか言う前に、まともな組織なのかを疑いたくなるような歴史です。

なにか根っこのところで問題があると感じさせますが、運営制度そのものに欠陥があると疑いたくなります。そもそもが、独立した小規模な部屋の寄り合いで、全体のマネジメントが機能しにくい構造です。しっかりしたルールと、よほど強いリーダーシップが働かないと不祥事発生の歯止めをかけるのは困難ですが、八角親方にリーダーシップは感じませんし、貴乃花は好きな力士で、歴史に残る大横綱だとは思いますが、日馬富士問題での対応は、やはり小さな部屋の親方であって、組織人でも、組織のリーダーでもないと感じさせました。

立派な相撲をとる才能と、組織を動かす才能はかならずしも一致しません。部屋という閉ざされた世界で育ってきたキャリアを考えると、組織を運営する能力を期待するほうが無理なのでしょう。

さらに悪い事に、相撲は「風格」とか「相撲道」という、説明ができない「暗黙知」で結構重要なことを済ましてしまっていることも壁になっているのではないでしょうか。他のスポーツでは、競技の質を保つために、問題が増えれば、ルール変更も行っています。

現実は、外国人力士も加わり、相撲人気が復活したのですが、外国人力士に、また世間に理解されるような明文化、つまりルールづくりを行ったほうが、各部屋の指導体制や指導方法の向上をはかり、また土俵でいい勝負を引出せるはうです。

幸いなことに、今、多くのプポーツで組織運営の改革の流れが起こってきており、他の競技に学ぶこともできるでしょう。もし改革プランが出せないようなら、文科省は税制の優遇などの利権を奪ってもいいはずです。というか、そもそも相撲という民間ビジネスを文科省がサポートする必要がどこにあるのかも疑問なのですが。

世間が納得できる改革案を示すことができなければ、いくら土俵で力士が頑張っても、崩れてきた大相撲への信頼を取り戻せるとは到底思えません。土俵際に立たされた大相撲協会が鮮やかな改革の一手を見せてくれることを期待します。まずは民間から組織改革リーダーを招聘し、権限を委ねることから始めるのが正攻法でしょうね。