ネットで調査したところ安倍内閣支持率はなんと脅威の60%の結果だったとツイッターで拡散を希望している書き込みがありましたが、ほんとうに初歩的な調査のミスを犯した結果の数字です。たんに安倍内閣を支えたい熱狂的なファン、あるいはそれに近い考えを持った人たちが投票した結果にすぎません。そんな初心者の間違いを行った支持率調査を取り上げているnetgeekは大丈夫でしょうか。安倍内閣ですら取り合うとは思えません。


同じような間違いをかつてニコニコ動画のアンケートでやって世論調査はおかしいと騒がれたことがあり、不毛な議論を繰り返さないために、なにが間違いなのかをできるだけわかりやすく説明しておきます。

この人たちはサンプル数が多いほうが事実に近い結果になると思っているようで、時事通信社の票数が2,000に比べ、そのネットで高支持率を得た調査は、「投票数は11万3千票でかなり大規模なアンケートになった」といかにも信頼性があるように印象付けようとしていますが、それは間違っています。

できるだけ専門用語を避けますが、信頼に足る調査かどうかを決めるのは、誰に対してどのような方法で調査したのかです。どのメディアの世論調査も18歳以上の個人を対象にしています。すべての人に電話をかけるわけにはいかないので、コンピュータでランダムに選んだ人に電話をかけて調査します。ここからは統計学の出番ですが、どれくらいの人数に調査すればどれくらい信頼できる結果が得られるのかもわかっています。工場でのランダムサンプリングもすべてその考え方によるものです。

こう考えてみてください。赤と白と黄色のビーズ玉を混じり合わせて一杯になっている巨大なプールがあるとしましょう。どれくらいの比率で混じり合っているのかを調べたいとします。プールの中のすべてのビーズ玉を数えられればいいのですが、それは不可能です。その場合どうしますか。おそらく、目隠しでもして、ランダムに数カ所からビーズ玉を採取して、どれくらいで違う色が分布しているかを調べるのではないでしょうか。世論調査も同じです。

では、巨大なプールの近くに、最初からできるだけ赤いビーズ玉を集めた、あるいは集まった小さなプールで調べたらどうでしょう。当然、赤いビーズ玉が多かったということになります。いくら11万3千個を調べたといても、それは巨大なプールとは関係のない、特殊なプールの色の分布にすぎません。

しかも、リピート投票ができないように工夫したアンケートかどうかもわかりません。偏執狂の人が一人で数万投票することもありえるのです。しかも、サイトに埋め込んだアンケート結果は、そのサイトを訪問する人たちの結果で、そのサイトの特徴に大きく左右され、同調行動のバイアスもかかってきます。同じネット調査といっても、たとえば日経クイックで実施すれば、おそらくまた違う結果になったのでしょう。

netgeekは、「おそらくアンチ安倍総理派の人間はこれらのアンケートにもケチをつけるだろうが、誤差があるにしても支持率が高いことは間違いない」とわざわさ文字を大きくして強調していますが、アンチ安倍かどうか以前に、信頼できない情報に釣られてカッカしなさんなよということです。

ただ若い世代での安倍内閣支持率は他の世代とくらべて高いのは事実です。安倍内閣を支えているのは、20〜30代の若い世代と70歳以上の高齢層です。それは朝日新聞が世論調査についての記事でも触れています。しかしその朝日新聞の記事の想定を超え、東京都議会選後に、安倍内閣支持率の溶融が始まったのが現実で、それは予想したシナリオのとおりでした。

ついでですが、実施したメディアで世論調査結果が若干異なってくる最大の原因は、質問そのものの違いや質問のしかた、質問の順序などでしょう。支持するか、支持しないのかの二択で聞くのと、「どちらかと言えば」や「どちらとも言えない」を入れた5択でしても結果は異なってきます。だから異なるメディアの調査結果が違っても自然なことです。

だから、できるだけ同じ方法で調査を行って、前々回、前回など、時系列を追って結果を比較して傾向を見ます。しかも、調査をやっている人から見れば、安倍内閣支持率などよりも、自社の世論調査がどれだけ同じ方法で継続して実施できるかのほうがはるかに価値のあることで、操作などするわけがありません。

調査ということに関して知識がないことはしかたないとしても、こういった人たちで気になるのは、気に入らないことや考え方は間違っているという態度です。結論ありきで黒白をつけ、同じ思いの仲間がいることに安心する、そして意見の異なる人を批判、場合によっては攻撃する。それはまったくサヨクの裏返しそのものです。きっと気質が同じなのでしょう。

ビジネスの世界では、従来の業界の常識をも覆す変化を体験させられると、先入観による思い込みを持てば持つほど変化に対応できないことを思い知らされます。事実にもとづいて、問題や課題を抽出し、解決をはかっていこうとします。政治の世界も同じです。