石原元都知事の記者会見は、「果たし合いに出掛ける侍の気持ち」、「私が全部しゃべると困る人がいる」、「座して死を待つつもりはない」という意気込みで望むとあって期待していました。「都民ファースト」とは正反対ともいえる「正義感ファースト」の対決も、終わってみると、「知事とは気楽なもんだときたもんだあ」の世界を泳いでいた人なんだろうかと思わせる会見でした。やはり「攻め」には勢いづくけれど、「守り」はできない方だったのでしょう。
豊洲が安全ではあるものの、安心できなくしてしまった、「風評に科学が負けるのは国辱」とする石原さんの主張は、国辱かどうかは別にして、賛同ができます。しかし、それよりは、いかに石原さんが、実務能力がなく、人任せの無責任だったかを強く印象づける会見でした。

想像ですが、豊洲のアリババへの売却の噂がでてきて、中国人に売るとはケシカランと怒り、小池都知事との差し違いを覚悟の特攻精神で臨んだものの、守りの鉄板もなく、武器もないままの突撃では、敵艦まえで撃ち落とされてしまったという感じでしょうか。

羽田の再国際空港化や空港拡張など、攻めで国との連携が鍵になる案件は功績があった石原さんですが、この豊洲の案件に関しては、下から上がってきたは契約書に脳天気に判を押す、そして結果の責任は誰もとらないで知らん顔。聞いていて、それが、リーダー不在のまま、みんなで煽り合って戦争に突っ走り、誰も退く決定ができなかった戦前の体質そのものじゃないかと感じてしまいました。

さらに、今日、危機を乗り切ってきた逞しい企業と、そうでなく企業を破綻に向かわせた企業の違いは、リスクに対する感受性の有無と、リスクに向き合う健全なリーダーの存在があるかどうかではないでしょうか。石原さんには、そんなリーダーとしての資質が呆れるほど欠けてます。都の行政をオペレーションする経営能力はなく、政治を語る一小説家であるべきだったのでしょう。

新銀行東京の大風呂敷を広げたのも石原さんの正義感だったのでしょうが、世知に疎い石原さんの音頭では破綻するのも当然でした。ご子息の選挙区に都のお金をばら撒くための銀行だったと揶揄する向きもあるようですが、そう思われてもしかたない結果になってしまいました。

国会議員ならやっていけたのかもしれませんが、石原さんは、経営能力を求められる都知事になるべきではなかったのでしょう。結果論かもしれませんが。

さて、小池都知事と刺し違えることもできなかったのですが、その小池都知事は、豊洲をどうされるのでしょう。

地下水の汚染と豊洲の安全性は、別問題だということはアゴラの宇佐美 典也さんの記事がわかりやすいと思いますが、「飲むわけでもなく、使うわけでもない地下水に環境基準を設定したことが全ての混乱の原因」という橋下徹さんのツイートのとおりだと思います。

しかし、今や、不安を煽った共産党やそれに乗ったマスコミが、重い空気をつくってしまっていまいました。さらに検査方法を変えたことで、さらに高濃度のベンゼンなどが検出されました。これまでの検査方法すら疑惑を生んでしまったのです。

しかも、豊洲市場の問題は、地下水の汚染への不安だけだけでなく、豊洲市場ができる経緯の不透明さも手伝って致命的なイメージ低下が起こった複合的な問題となってしまっています。

石原さんは、権威を借りて安全であることを小池都知事がアピールして移転すべきだと主張されますが、石原さんが大好きな権威を持っていても、豊洲移転の経緯への不信感が深まり、広がってしまった風評を鎮めるというのはそうそう簡単な話ではありません。評論家や学者の人のなかには、安全性を訴えれば問題解決すると気楽に考える人もいますが、そうはいかないのが世の中の現実です。 

しかも、その不透明さは石原さんの下で生まれた、というか石原さんの無責任責体質の産物ですから、豊洲の当事者の方々、また都民のみなさまに安心していただくことが問題解決とすれば、私財を投げ打ってでも、権威の方々総出演の舞台をつくり、その解決のために努力されることが、それこそ武士の心意気にかない、また晩節を汚さないの唯一の方法なのかもしれません。