もし東京から新幹線で大阪に来ると、東西の習慣の違いが交差するのがエスカレータで人が立つ位置です。下りのホームから改札までは、東京と同じように左に立っている光景をよく見ます。しかし、改札をでてからは逆転し、列は右になります。「東京式」は通じません。
杓子定規に言えば、真ん中に立つというのが正しい乗り方になるのでしょうが、海外では大阪のように右側に立つところが多く、東京式のほうが特殊かもしれません。他民族、異文化が集まっているロンドンの地下鉄のエスカレータに立つ位置を位置がペイントされ、示されているのを見たことがあります。

エレベーターでは、東京ではドアを閉めるボタンを押す人はあまり見かけません。それと同じように関西で、ボタンの近くに立ってじっとドアが閉まるのを待っていると、誰も文句はいいませんが、周囲の人たちは、心のなかで「このアホが、はよう閉めんか」とつぶやいていて、気が利かない鈍感な人だと思われます。しかし東京で関西式にボタンを何回も押すと、「この人、なんとせっかちなんだ」と思わてしまいます。

それ以外にも、ちょっとしたことで、いろいろ違いがあって、昆虫が入っていたことでペヤングが店頭の棚から消えたことが報道されていたときに、関西ではもうひとつ実感できなかった出来事でした。関西でもペヤングが売られてはいるのですが、店頭に並んでいる店も、商品の種類も少なく、馴染みが薄いブランドだったからで、関西は「日清焼そば U.F.O.」が圧倒的に強いのです。
ペヤング生産休止でカップ焼きそば戦争激化? 関東と関西で差も - ライブドアニュース

東京ではマクドナルドは「マック」ですが、大阪ではフランス式に「マクド」です。関西に限りませんが、石油を赤いポリタンクで入れているとじろじろと見られることがあるかも知れません。石油は青いポリタンクで、水は白いポリタンク、赤いポリタンクはガソリン用だという暗黙のルールがあるからです。東京ではダブルのトイレットペーパーが売れますが、関西では圧倒的に売れるのはシングルです。あげていけばきりがないほど違いがあります。

これだけマスメディアが発達し、情報が標準化しても、食文化の違いはいまでも残っています。薄口醤油を使うか使わないかもそうです。ところでなぜ、関東では薄口醤油が使われないかをご存知でしょうか。
もともとは醤油は紀州でつくられ、江戸に船で運ばれていたのが、17世紀に銚子を中心に醤油が醸造されるようになり、それで江戸の旺盛な需要をまかなえるようになったのです。それで関西と関東の醤油文化が断絶します。薄口しょうゆが生まれたのも17世紀ですが、それが関東に浸透することがなかったのです。
つまり、全国の流通チェーンが誕生しても、情報化が進んでも、3世紀以上も異なる醤油文化圏が崩れていません。とくに食文化は世界を見回しても、なかなか変わらないものです。

食文化では、未だに関西では納豆を食べないということがまことしやかに信じられているようですが、関西でも、零細な小売店、公設市場が中心だった時代から、味噌を売っている店だはかならず納豆が売られていました。ただ関西は食材の種類が豊富だったので、納豆を毎日食べる習慣がなかっただけです。納豆を食べる文化がないわけではなく、たんなるワンオブゼムの食材にすぎなかっただけです。

違いがあることはいいことだと思っています。それぞれの地域で、それぞれの生活文化があり、その多様性が日本の文化を支えているからです。ものの見方、価値観もそうです。複雑さが極めて高くなってきた現代では、ものの見方や価値観の違う人たちがいて、ひとつひとつの課題に対する解決をともに考えてこそ、従来の常識を超える知恵も生まれてきます。

日本もようやく遅れていた海外からの観光で訪れる旅行者が増えてきました。それも日常のなかで、異なる文化、異なる習慣を体感するいい機会になってくると思います。

社会が抱えたストレスでしょうか、なにか許容性が狭まり、寛容でなくなっていく風潮も生まれてきていますが、グローバル化の波は止めようがなく、もともと日本にあった多様性を許容する文化、宗教ですら、仏教と神道も同居する文化が、日本の魅力、日本の強さとしてますます大切になってくるのではないでしょうか。


SFAによる顧客管理ならアクションコックピット

どんどん進化しつづける営業支援システム アクションコックピット