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妻夫木聡と松山ケンイチの豪華キャストによる『マイ・バック・ページ』の上映がいよいよ開始されます。実は、この映画について、友人を介してある映画関係者から意見を聞かれ、また試写会にも招待されたという経緯がありました。
『マイ・バック・ページ』オフィシャルページ
『マイ・バック・ページ』オフィシャルブログ

正直言って、原作を読むと、いったい誰に向かってなにを感じてもらいたいかがわからず、映画化するには内容がないと思っていたのですが、映画を見た限り、週刊朝日、朝日ジャーナルの記者で、事件に巻き込まれ、その後に記者の職も失った原作者の著書を超え、山下敦弘監督が見事に作品化していると感じました。

この映画を観る前に、多くの人が知らない、またおそらく社会が隠してきた事実を知って置く必要があると思います。当時の学生運動といえば、大学バリケード封鎖やそれが敗れる東大の安田講堂に学生が立てこもり機動隊とやりあうシーン、よど号ハイジャック事件、また連合赤軍による集団リンチが起こった浅間山荘事件、そしてこの『マイ・バック・ページ』のテーマとなる、朝霞の自衛官殺害事件などが取り上げられることが多いのですが、これらはそれまで急激に拡大していた学生運動が終焉する過程で起こったことです。

当時の学生運動は1967年から1969年にかけたベトナム反戦で急拡大していった時期と、それ以降では質的に大きく変化します。

ベトナム反戦に関しては、ベトナムが共産主義化すれば、すべてがドミノ倒しのように共産主義圈が拡大するという、宗教じみた「ドミノ理論」を根據に、ベトナムで非人道的なナパーム弾や奇形児が大量発生した枯葉剤などをアメリカが使ったために、全世界の学生が立ち上がった運動でした。当然アメリカでも起こっています。

とくに日本政府はアメリカとの協力関係を堅持する方針であったために、日本のベトナム戦争の後方基地化が進んでいき、それに抗議する運動の輪が日本各地で広がっていきました。とくに、1967年10月8日に当時の佐藤首相が文字通りアメリカの傀儡政権でしかなかった南ベトナムを訪問することを阻止しようとした羽田空港に通じる弁天橋の上で、同じクラスだった山崎博昭君が死亡します。
羽田闘争 :

当時はヘルメットをかぶっている学生は少なく、学生の羽田空港への侵入を阻止しようとしていた機動隊の列から、突然大量の投石があり、学生がたじろいだ一瞬、機動隊が学生を襲い、警棒で滅多打ちにします。
その現場にいたのですが、警棒の乱打から頭を守ろうとした手の甲は骨にひびが入り、幸か不幸か、そのうち頭に一撃を受け、血が吹き出したので、機動隊が暴行をためらい、その間隙に学生から救出されました。そのシーンは今でも脳裏に焼き付いています。山崎くんが亡くなったのを知ったのは病院で治療をうけ、仲間に再度であった時でした。

この事件があって、学生の行動が過激化していきます。しかし学生が展開した大きな闘争はほとんではゲリラ戦でした。首都圏を麻痺させるぐらいのパワーはありましたが、それ以上ではありませんでした。

当時の運動が矮小化されて伝わっていったので、多くの人がなぜ国粋主義者であった作家三島由紀夫と学生が互いに共感しあっていたかが理解出来ないかもしれませんが、三島由紀夫にしても、学生にしても、共有していたのは、日本がなぜ、対米従属をつづけ、米国の植民地でありつづけようとするのかということへの怒りだったと思います。

しかしその後、三里塚闘争という農民闘争などにテーマが拡散することで、ベトナム反戦でやっていた多くの運動家も学生運動の意義を感じられなくなり去っていきます。

それとともに学生運動が変節していきます。この映画でも当時の京大の助手であった滝田修氏をモデルにした革命家気取りの人間に、松山ケンイチ演じる梅山は心酔していくのですが、当時を知っていれば、滝田修の率いるパルチザンは組織化能力のない泡沫グループでしかなく、滝田修氏がベトナム反戦運動に貢献したという話もなく、また参加していたのかもよくわかりません。

ひとつは、ベトナム反戦という攻めの運動から大学の改革を標榜し、大学にバリケードを築く守りの運動にむかっていったことでした。この映画のなかでも革命の妄想に酔い、革命家を気取る松山ケンイチ演じる梅山の革命運動への参加の呼びかけに、大学にバリケードを張ってなにを守るのかという素朴な疑問を学生が投げかけるシーンがありますが、当時の学生でもそう感じていた人は少なくなかったと思います。

もうひとつがこの映画のように、ベトナム反戦では消極的にしか運動に参加しなかった、あるいは年齢的に参加できなかった「遅れてきた青年」達がありえない革命を信じ、武装蜂起による革命を標榜して過激化していきます。

浅間山荘事件でもそこにいたのは、組織的な運動の経験を積んでいない無名の人たち、あるいはベトナム反戦運動で運動が盛んだった頃には姿を消していた人たちでした。実際に運動の組織化を経験していないために、頭だけで考えてしまうと、妄想はどんどん広がっていきます。やがて自らつくりだした妄想に自らもはまりこみ逃れられなくなるのでしょう。

この映画のなかでも実在しないに等しい弱小の「赤邦軍」を語り、つぎつぎに嘘で固めていく、また自分自身もその嘘に酔うように、梅山は過激化していきます。

そして重要なことはベトナム反戦でやっていた頃は社会からの支持があったのですが、武装蜂起による革命を標榜したとたんに社会から孤立し、孤立のなかでさらに過激化の悪循環にはまっていきます。

この映画の主人公である妻夫木演じる週刊誌の沢田記者も同じです。大学時代には学生運動を眺めるだけで、その後悔があり、ジャーナリストとして学生運動を追いかけようとするのですが、そこに落とし穴がまっています。

革命家を気取る梅山も、沢田記者も共通するのは、参加しなければならなかった時期に遅れてしまったというコンプレックスです。このコンプレックスが冷静な判断力を失わせていきます。

しかし、考えても見れば青春時代にはさまざまな間違いもあり、世の中を見誤ることもありますが、理念もなく、また展望もなく尊い人の命まで奪う犯罪にまで至ったことは、異常としかいいようがありません。いったんそういった思考回路にはまると抜けだせないのが人間かも知れません。

この映画は当時の学生運動で起こった事件を借りながら、見事に、原作にもあった男の涙、男が泣くときに焦点をあわせ、ラストシーンに凝縮させています。この映画のテーマを、まさにそこに置いています。いったい、沢田記者は、記者を追われ、焦燥したなかで出会ったものとはなにだったのか。そこでなぜ涙が止まらなかったのでしょうか。その謎を解くためには映画『マイ・バック・ページ』をぜひ御覧ください。

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