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いろいろあるでしょうが、まっさきに挙げるとすれば「自衛隊」と「原発」とではないでしょうか。もうひとつは「官僚制度」もありますが、官僚制度は、いまだにほとんど改革されていないとしても、議論の俎上には乗るようにはなり、また問題点も明らかになってきたほうだと思います。

「自衛隊」にしても「原発」にしても、現実と向き合うことなく、賛成派と反対派が対立し、どちらからも政治利用されてきたように思います。また現実と向き合わないために、事実や課題を隠す体質が生まれたり、癒着が起こったり、利権が発生してきたことも日本の不幸だと感じます。

自衛隊は危機対応の訓練を行っており、災害などの非常事態が起こった際に対処できる極めて重要な存在ですが、その初動を円滑に行わなければならない、自衛隊をもっと活用しなければならないという認識も阪神淡路大震災の反省があってやっと生まれたのではなかったでしょうか。

しかしいまだに、自衛隊問題にしても、原発問題にしても多くの議論は机上の話が多すぎると感じます。

自衛隊反対は憲法問題と外交さえしっかりすれば国際紛争は避けられるという楽観的な理想主義しか根據を感じず、賛成派からでてくるのは「脅威」と「装備」と「予算」の三点セットでしかありません。現実は装備や予算に優れたアメリカがベトナム戦争での敗北以降、戦争には勝てていないにもかかわらずです。

重要なのは国民の意識や、自衛隊の士気や規律をどのように保つかの人や組織の問題のほうがはるかに重要なのですが、海上自衛隊で、あいつぐ気の緩みとしか思えない事故があっても、情報漏洩事件が起こっても、賛成派も反対派もスルーします。賛成派はそれで自衛隊反対の声が高まることを警戒し、また反対派が今ひとつ切り込めないのも、改革・改善を唱えることは、自衛隊の存在を認める土俵にのらざるをえないからでしょうか。

原発も同じことがいえます。美浜原発事故の際に、設計はしっかりなされていても、現場の施工がそのとおりでなかったことが問題になりました。しかし、喉元過ぎればで、それもやがて問われなくなりました。柏崎刈羽原発に関しては活断層上に建築されていたことがわかったのですが、なぜそこに建てたのかがまともに問われないままに過ごされてきました。

今回の福島第一原発でもわかったことは、現場で作業している人たちはほとんどが専門家ではない作業員の方々だということでした。危険に身をさらしながら、作業を進めていらっしゃいます。応援部隊も自衛隊にしても、レスキュー隊にしても原子力や放射能汚染に関しては素人の人たちです。また雲の上の存在である東電経営幹部の人たちも現場をほとんど知らないようです。だから質問にも的確に答えようもなく、具体的な対策も示せません。

すべてが机上で議論される。その机上の議論が現場の事故によって覆されている様子を私たちは見ています。東電幹部も一般論しか語れません。

おもわず、あの映画『踊る大捜査線』で、青島刑事が、「事件は会議室で起こっているんじゃない!現場で起きているんだ!」と叫ぶシーンが浮かんできます。

現場を知らずに計画書と数字で経営してきた、だから現実的な対策がわからないのでしょう。

原発の現場がどうなのかの情報がきわめて乏しいのですが、余丁町散人さんのブログで、友人の方から送られてきた元原発関係技術者故平井憲夫さんの論文が紹介されていました。
内容を読むと、いかに現場の作業が大変なものかがわかります。しかもこの論文が書かれた平井憲夫さんは、1997 年に逝去されているのですが、福島第一原発の問題も取り上げていらっしゃいます。
Letter from Yochomachi: 資料:「原発とはどういうものか知ってほしい」 :

原発とはどういうものか知ってほしい(全)PDF資料

もちろん違った視点もありうるかとは思いますが、少なくとも現場で長年働いてきた人の話は読んでみる価値があると思います。
すくなくとも、余丁町散人の橋本さんが「現場を離れた机上の議論が如何にきれい事であるのか、よくわかります」と書いていらっしゃるとおりです。

次のくだりは、現在の事故処理にあたっている方々の大変さ、事故処理の難しさがひしひしと伝わってきます。
稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。 
事故が相次いで起こり、原発の安全性が問われていたにもかかわらず、安全検査も専門家が行っていなかったようです。行革で農水省の人員が余り、昨日までハマチの養殖の指導をしていた官僚が検査をしていたという下りには絶句しますが、まさに記者会見にでてくる保安院の人たちを見れば想像に難くありません。

しかも、このなかで書かれているのは原発は廃炉も解体も現実的にはできず、福島第一原発も、耐用年数の10年を超えたにもかかわらず、アメリカの会社に補修させて30年以上経た今もも稼働させるしかないままに来ていたようです。

原発にかならずしも反対ではありませんが、そういったやっかいな存在であることは紛れもない事実であり、それだからこそ、現実に多くの原発を抱えてしまった現実に向き合う必要があるはずです。

反対派の人たちは廃炉を求めていますが、ではどうやって廃炉にするのでしょうか。現実的な解やプランを持っているのでしょうか。よくわかりません。しかし政治家が廃炉を求めるならしっかりその可能性を調査してからでなければ、たんに無責任に騒いでいるに過ぎません。

また、今起こっている事態を想像するに、圧力炉は毀損しており、初動が遅れが事態を深刻化したとは到底思えません。そんな初動で抑えられた事故ではないと感じます。菅総理の危機対応能力には疑問を感じますが、甘い原発行政を進め、今日の遠因をつくった反省もないままに、初動のミスをしつこく突いて政治利用しようというのも情けない話です。

今は、どうすれば福島第一原発を管理可能にし、放射能漏れを止めることができるか、汚染された水や瓦礫、また施設をどのように処理するのかに集中すべきです。回答の見えない世界を手探りで模索しながら進めざるをえないのですから。事態を甘く見すぎていませんか。


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