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3Dテレビはアジア型の開発の終わりになるかもしれない、そうツイッターでつぶやいたことがあります。人気ブログであるChikirinの日記さんが、「“3Dテレビ”とかまじなのか」ということを書かれていますが、確かに3Dテレビはかなり危うさを感じます。

Chikirinさんが、これまでのテレビの進化で大きかったのは、第一が白黒テレビがカラーテレビになったことであり、第二が価格が安くなったことであり、第三はリモコンが生まれたこと、第四が薄型になったことで、第五が画面がでかくなったことだということですが、おそらくそれがほとんどの人の実感でしょう。つまり技術としては成熟してしまったということです。
“3Dテレビ”とかまじなのか

藤田まことさんが亡くなり、昔の「てなもんや三度笠」がテレビで幾度も流れていましたが、白黒であり、しかも画質も低く、いかにテレビの画質が上がったかがわかります。しかしデジタルテレビやハイビジョンによる画質の向上は、「てなもんや三度笠」の時代からの画質の飛躍的な向上に比べるといかにも小さいですね。それもとりもなおさず技術の成熟を象徴しているということです。高い技術を注ぎ、開発に膨大な投資を行っても、アウトプットが改善程度になってしまっています。

別に3Dテレビが不発に終わったとしても、それでサムスンや日本の家電メーカーさんが倒れるわけではありませんが、中国の工場から出荷されてくる低価格の液晶テレビと、もう差別化するネタも、付加価値をつける種もなくなったことを証明することになります。

つまり、3Dテレビが不発に終わったときには、市場からの価格への圧力はさらに強まり、価格競争に拍車をかけるだろうということです。それに日本の家電メーカーが果たしてそれに耐えることができるのかです。無理でしょう。
サムスンは、液晶テレビで飛躍的にシェアを伸ばしてきましたが、サムスンの開発戦略も、こと液晶テレビに関しては日本とほぼ同じ路線であり、やはり3Dに手をつけました。しかもはやサムスンも価格競争に耐える体質ではなくなっています。中国から安い液晶テレビがどんどん出荷されていくでしょうが、中国は開発の拠点ではなく、工場でしかありません。つまりアジア型の開発が行き詰まるということです。

なぜ、液晶テレビが成熟の壁から脱出できず、3Dへと開発が暴走してしまったのでしょうか。その理由はよく分かりませんが、分かることは人びとの生活シーンを思い描きながら、どのようにすれば、人びとのテレビ生活が変わるかを考えるという発想がすっかり抜け落ちていることだけは分かります。

生活のシーンを思い浮かべると、Chikirinさんがいみじくもリモコンの登場が大きかったとおっしゃっているように、テレビは、放送を見ている液晶パネルではなく、リモコンが勝負になってきそうだというイメージが沸いてきます。
現在のやたらボタンが多く、そのわりにテレビか録画機の操作しかできないというのは、普通に考えれば、技術が後れているということです。逆に技術が後れていると言うことは、それだけ進化させるチャンスもあるということです。

実は、手のひらのリモコンが、テレビで「できること」を飛躍的に広げる可能性を持っているのではないかと思っています。とうぜん、バックにはかなりの技術革新が必要でしょうが。
ユーザーの人にとっては技術はブラックボックスでいいのですが、たとえば、小さなリモコンで「できること」を広げていこうとすると、そのリモコンは通信であちらの世界、つまりクラウドにつながっているというのが自然に思い浮かんできます。処理はすべてあちらの世界がやってくれ、信号を返し、目の前のテレビ画面が見たいものを映してくれます。

ニュースとつぶやけば、ニュース画面に切り替わります。youtubeとつぶやけば、画面がyoutubeとなりプロモーションビデオで音楽だって楽しめます。ゲームと言えば、ゲームもでてきます。ツイッターもそうです。ほんとうにつぶやけばいいのです。
イメージできないという人は、iPhoneのアプリでGoogleMobileというアプリを使って音声で検索してみてください。なかなかなものです。TweeetMeもそうです。別に音声でなくとも、リモコンのアイコンで操作しても構いません。おそらくGoogleはそんな世界をイメージしているのではないかという気がしてなりません。

もし、そういったリモコンを起点としたテレビの進化が実現されてくると、アジアの液晶メーカーは、たんに部品屋さんになっていきます。誰が覇者になり、莫大な利益をかっさらっていくか、目に見えてきますね。今のところは覇者にもっとも近いのは、グーグルかアップルでしょう。彼らがリビングにも進出してくるということです。
ソニーがグーグルやインテルと手を組みましたが、そういった近未来を想定した提携かもしれません。

言いたいことは、開発の発想を逆転させてみればどうかということです。モノとしてのテレビの重箱の隅で、アイデアを探るのではなく、生活シーンからスタートし、なにが「テレビのある生活」を変えるのか、「テレビのある生活」がどう変わるのかから発想することです。あまりにも可能性が広がってくるので、めまいを起こし、なにから手をつければいいかがわからなくなってしまいそうでしょうか。

それに、そろそろ「ものづくり大国」という看板を下ろしてみてはと思います。部品メーカーさん、素材メーカーさんの場合はそれで生きていくこともできるでしょう。職人の技で世界のシェアのトップを取っている分野も確かにあります。しかしそれは小さな工場をまかなうぐらい小さな市場でしかないのです。それで日本が食っていけるとは到底思えません。
「ものづくり大国」ではなく、「社会や生活の豊かさを創造する知恵の大国」を目指して欲しいものです。

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