
お城に人気があるようです。その人気の城も、天守閣が現存しているのは12城しかありません。江戸時代には3000もの城があったのですが、廃城令で、ことごとく取り壊され、あるいは残ったものも、そのほとんどが朽ち果ててしまいました。明治政府としては、近代国家づくりを目指して、幕藩体制の象徴ともいえる城の「創造的破壊」をやってしまったということでしょう。
写真の備中松山城は、その数少ない天守閣が残っている城のひとつです。城がまだ戦の要塞であった戦国時代の名残で、標高430メートルの小高い山の頂に建っている山城で、取り壊わすのも大変なので、そのまま放置され荒廃するに任せされていたようです。日本三大山城のひとつ岐阜の岩村城も、同じ理由で取り壊されなかったのですが、朽ち果ててしまったと記憶しています。
それが、昭和になって地元の高梁市の教員の方の研究と復興運動があって、最初に改修が行われ、平成になってから崩れかけた石垣も含め本格的に改修されたようです。


当時の荒廃した松山城の写真と、山道を歩いて瓦を運ぶ生徒さんたちの写真ですが、いわば町おこしの先駆的事例かもしれません。その伝統でしょうか、かつての城下町であった高梁の町並みを歩いていると、地元の高校の生徒さんたちが、すれ違うと必ず挨拶をしてくれ、本当に気持ちのよい町です。ちなみに「高梁」は「たかはし」と読みますが難しいですね。
備中松山城は、8合目までは車でも行けますが、30分ほど山道を歩かないといけません、それこそ「登城」だなという感じですが、健康のためには、なかなかいいコースだと感じました。
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突如、聞き覚えのあるお城が話題にありましたので、
コメントさせていただきました。
私は、備中松山城にJRと徒歩で出向いたことがあります。
地元の地図を甘く見ておりましたら、
天守閣までにかなりの距離があり、山田方谷の
健康の源を痛感させられたものです。
(毎日城下町から登場するとかなりの運動になります。)
しかし、見渡す限り風光明媚なこの土地から、
幕末を代表する板倉勝静を歴史上に輩出する松山藩を
築いた山田方谷という人の経済性に大変感銘を受けました。
内容が乏しいコメントで申し訳ありません。