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老舗の「のれん」と「ブランド」は違うという考え方もありますが、ちょっと無理かなと思います。「のれん」も立派な「ブランド」です。のれんもブランドも、いったん人びとの心の中に刻まれ、しっかりしたポジションを得ると、それは商品やサービスを超えた重要な市場資産となり、そう簡単に壊れるものではありません。

だから、北海道の『白い恋人』も賞味期限の改ざん問題であれだけ非難を浴びたにもかかわらず人気が復活し、石屋製菓のホームページを見ると、「品薄状態が続いているめ、ご購入頂けないことがあります」というお詫びが掲載されているほどです。『赤福』も伊勢に行くと並ばないと買えない人気復活ぶりだそうです。

船場吉兆も、食品偽装でマスコミをあげての非難の嵐があり、さらに記者会見の女将のささやきがおもしろおかしく報道されましたが、営業再開後は予約が入り、お客さまも戻っていていたといいます。ブランドはそう簡単には壊れないということをまざまざと感じさせてくれます。

ブランドがいかに市場資産として重要かという、こんな経験をしたことがあります。かつてはトップブランドであったある商品が、特許切れからその後に新規参入を招き、それに対して手をこまねいているうちに、どんどんシェアが低下し、事業存続も風前の灯火となっていました。
その再建の陣頭指揮にたつことを依頼されたのですが、残っていたブランド力を生かし、マーケティングの改革を行ったことで、わずか3年でトップと並ぶところまで復活させました。マーケティングの魔法で奇跡を起こしたようですが、もし市場資産としてもブランド力が残っていなかったら到底再建は実現できなかったに違いありません。

しかし、今回の使い回し問題は、それが正しい、正しくないという理性の評価を超え、人が手をつけたものを出すというのは気持ち悪いという感覚的というか生理的な拒否感を生み出してしまいました。
感覚的な、生理的な拒否感が生まれてしまうと、いくら悔い改める、努力すると弁解しても心に届きません。アパレルなどのようにトレンド性が価値となっている分野では、「あのブランドはダサイ、イケてない」といわれるようになっしまうと厳しいのと同じでしょう。

恋愛や夫婦関係も同じかも知れません。いくらケンカしても、感覚的な、また生理的な拒否感がなければなんとかなります。しかし、相手が気持ち悪いというようになってしまったら、もう手のつけようがありません。
記者会見の席で、女将が涙ながらに、この使い回し問題が発覚してから、客足がどんどん減り、ついに廃業を決心せざるを得なくなってしまったと語る姿はほんとうに痛々しく感じました。

使い回し問題の余波は、きっと船場吉兆の廃業では終わらないでしょう。吉兆グループの各社にも甚大な影響を与えているといいます。創始者である先代の湯木さんが間違ったのは、生命線となるのれん管理、ブランド管理を、のれんわけということで分散化させてしまったことではないでしょうか。しかも本家の意向が効く通常ののれんわけとは違うカタチでのれんわけしてしまったことでしょう。
船場吉兆問題は、ブランドを守ることがいかに重要か、ブランンド管理ができる経営でなければ危ういという教訓を残したのではないでしょうか。

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