『ゲド戦記』がネットでは、お寒い評価というか失敗作という印象を受けます。しかし興行的には滑り出しは絶好調です。それとは好対照に『時をかける少女』はネットではすこぶり評価が高いにもかかわらず、興行的には『ゲド戦記』の足元にははるかに及びません。
こんな商品と思っても最初はどんどん売れることはあるし、逆にいい商品だから売れるとは限らず消えていった商品もたくさんあります。
このブログでは、『ゲド戦記』について書かれた記事のなかでのアンケート結果の紹介に仕方が、人を欺く典型的なパターンのひとつであることをご紹介しましたが、異なる視点でいくつかのブログが取り上げており、それぞれが面白いので、そえについて書いておきたいと思います。

話題を消費する
まずは切り込み隊長の 『ゲド戦記』が不評のようなのに商売人根性が炸裂し興行成績は優秀な件についての考察 は隊長らしい切り口で、内容のよさ、また評判で限られた人たちに広がっていくのとは違う世界、楽しめる作品かどうかよりも、話題をつくりだすことが興行の成果の鍵となる「瞬間風速型大作志向」が増えてきているという視点です。
コンテンツの世界も、ビジネスの世界であり、投資した資金をできるだけ短期的に回収したいわけで。話題性をつくり、マスコミを巻き込み、さらに大量のプロモーションの展開でスタートダッシュするというのはアメリカの映画産業も同じ傾向だし、まさに映画というコンテンツの世界だけでなく、小泉流の選挙戦も、また7人のキャラクターを使った資生堂の『TUBAKI』のプロモーションにも通じます。

煽りの元祖といえばゲッペルツ
話はそれますが、こういった煽り、宣伝といえば元祖はナチスドイツ。ヒットラーのブレインであったゲッペルツを思い出します。シンボルとしての鍵十字、ポスター、そして親衛隊の制服と音楽。ラジオと新聞。まさに劇場型のプロモーションを大成功させたのがナチスドイツのゲッペルツです。青年たちはナチスの思想というよりは、制服のかっこよさに憧れどんどん入隊していきました。こういったプロパガンダの手法は、理屈の世界ではありません。情緒であり感性であり感情に訴え、人々の関心をひきつけるのです。
この原理は今でも変わりありません。小泉流の選挙がまさにその有効性を証明してくれました。
『松浦晋也のL/D』さんが 映画のマーケティングを考える で書かれているように、この「ゲッペルツ以来の手法に加えて、『メディアに出資させて利害関係を作り、一見宣伝とは思えないフレームワークに宣伝的情報を挟み込む』という手法が、派手に使われている」というわけです。


BUZZマーケティングの効果がわかる?
ブログ『デジモノに埋もれる日』さんは、 「亀田」と「時かけ」 - メディアの扇動力がネットに圧される時代 で、これまでは個人個人の評価が分断されていたために、そうしたメディアによる扇動が効いたけれど、ネットで個人個人が文字として表明し、横断的に連鎖していくために、こういったのメディアの扇動力は次第に力を失っていくという見方をされています。そうなればいいと思いますが、ネットの力で実際にどれだけマスとしての人々をを動かせるでしょうか。ネットも影響力を持ちつつあるとはいえ、メディアの煽動力が圧される時代という状況にはまだないのではないでしょうか。
ブログ『人工事実』さんは、 市場規模が大きく違う作品のネットでの評判を同列で見るのはいろいろ見誤るんじゃない? という疑問を投げかけていらっしゃいます。確かにこの二つのアニメ作品に投じた投資額も違うし、上映されているスクリーン数も、作品の質はともかく、ブランド力も、体力体格もちがうのです。
ちょっと気になったのは、「『時をかける少女』はこの作品に興味がある人しか見てないので、ネット上では評判がいいという可能性が高くなってくる」というのはそうかもしれません。ただ、『ゲド戦記』について「見る人が増えれば、悪評も出る可能性が高くなる」というのは一見正しいようで無理な見解です。いずれにしても興行成績をみても、人々はマスコミによるパワーゲームで動いたのです。ネットにそのパワーはまだありません。
あれだけの低い評価がと酷評、また一方では高い評価という違いが、映画というコンテンツの興行にどのように影響力があるのかどうかはまだ未知数なのかもしれません。だからこそ今回の『ゲド戦記』と『時をかける少女』の今後の結果から目が離せません。もし今後の『ゲド戦記』や『時をかける少女』の興行成績の変化いかんで、BUZZマーケティングのパワーみたいなものが見えてくるのではないでしょうか。

映画も「評価が悪いと短命」であって欲しい
むしろリアルな世界、とくに日用品や食品などでは、初期のプロモーションがうまくいって売れたとしても、それを購入した人の満足度が低いと、リピート購入が得られず、あっという間に失速します。
デジタル家電などのように、人の評価を参考にしてブランドを選択するという商品の場合も、ユーザー評価が悪いと購入者が広がらなくなってしまい、やはり失速します。いずれの場合もユーザー人たちの満足度はマーケティングの成否を決めるうえで欠かせない要素です。
映画の世界のビジネスはまったくの素人ですが、そのことはきっと映画の世界にも緩やかに当てはまるのではないかという気がします。スタートダッシュはよかったとしても『ゲド戦記』は観客動員数が尻すぼみになっていくかもしれません。そうでなければネットの評価と興行の成果は関係ないということになります。それはそれで気持ちが悪いですね。
『時をかける少女』は、上映している映画館もすくないので、爆発的な興行成果は無理にしても、あれだけ評価が高いと、ぜひ観てみたいという人も増えてくるはずと素直に考えたいものです。息の長い興行が可能かもしれません。
そうだとすると、資金がなければないで、ネットにアプローチして、人々の評価をとりやっていくマーケティングも可能になってきたということであり、そうなることを願いたいものです。

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