2006年は、昨年末から引き続く耐震偽装問題、さらにライブドア問題、アメリカからの輸入牛肉の危険部位除去義務違反問題と揺れに揺れながらのスタートとなってしまいましたが、さらに東横インの身障者用施設などの不正改造問題も発覚するという事態にまでなりました。
しかし、東横イン問題は法的な違反があったことをマスコミが取り上げていますが、もうすこし突っ込んだ報道が欲しいところです。違反したから駄目、ひどい会社、速度違反と同じ程度の認識でしかない社長の態度は問題だというだけの報道では、問題の本質が伝わりません。
この問題は、違反したから悪い、身障者の人も怒っているということからで終始するのではなく、もう一歩踏み込んで、バリアフリーがなぜ必要か、さらにユニバーサルデザインが、いかに日本にとって大切なのかを問題提起する報道をやってもらいたいものです。
おそらく、問題となっているハートビル法についても、これほど報道の中で取り上げられたのもはじめてではないでしょうか。公共性があり、義務づけられている施設の建築などに携わっている方々、地方自治体の方にはおなじみの法律ですが、一般にはあまり知られていないのじゃないでしょうか。しかし、ハートビル法は今後の日本が豊かに過ごせる社会を実現できるかどうかにとっても大切な法律のひとつだと思います。
「社会的不利も障害」
身体障害者と言いますが、おそらくほとんどの人が想像するのは、身体の「機能」の障害や「能力」の障害、つまり片足がないとか、目が見えにくい、音が聞き取りにくいといった障害を思いうかべます。しかし忘れてはいけないのは、不自由なのは身体だけではなく、社会的に不利な条件があって、働けない、行きたいところに行けないという不自由も大きいということです。
ハートビル法は、公共性の高い施設については、そういった施設の不備による障害をなくしていこうという法律で、実際、この法律が施行されてから、駅についても、百貨店などの商業施設、ホテルなどのサービス施設についてもずいぶん改善がすすんできました。
バリアフリー+快適=ユニバーサルデザイン
しかも重要なことは、そういった改良が進むにつれ、お年寄りや身体障害者のかたがたにとってだけではなく、表示が見やすくなったり、見通しが良くなったり、男性トイレにもオムツを替える台が設置されるようになったり、身障者の方に対してだけでなく、すべての利用者の人びとへの配慮も高まってきていることにお気づきでしょうか。
身体障害者の方々の社会生活でのハンディキャップをできるだけなくしていこうという動きは、身体障害者の方だけでなく、誰もが快適に使えるというユニバーサルデザインの視点をも広げてきているということだと思います。すこしづつ、ユニバーサルデザインという言葉も普及しはじめているようですが、ユニバーサルデザインは、誰もが使える(アクセシビリティ)と快適に使える(ユーザビリティ)という視点で見るということであり、いわゆるアベレージ(障害を持たない人)にとっても快適だということであり、日本の都市やさまざまな施設の価値を高める大切な視点だと思います。
ユニバーサルな社会は積み重ねでしか実現できない
サービス業の顧客満足度は、100-1=0の世界です。ちょっと不満がお客さまに残ると、再びは利用して頂けないということです。バリアフリーも同じコトです。行きたい道程や導線上に、ひとつの障壁があるとそれが致命傷になりえるということです。車いすの方にとっては、階段の先にいくらバリアフリーな施設があっても、自力でたどり着くのは困難ですね。
だからハートビル法のようなルール化で足並みを揃えていくということも必要ですし、法だけでは限界があり、社会全体の配慮、あるいは配慮することが当たり前という文化も同時に必要になってきます。
人ごとではない
日本は猛烈な勢いで高齢化社会に向かっていっています。問題は高齢化するから駄目なのではなく、日本が高齢化に対応した社会でないから問題なのです。社会体制が変わって行くには、きっと、二十年、三十年という積み重ねが必要なのです。団塊世代にむけて高齢化にたいする対応は少しは加速されるかも知れませんが、それで完成するほど簡単ではありません。
日本のしくみも、産業のあり方も変化していかないといけないのですが、二十年、三十年という積み重ねというと、今の30代、40代の人も高齢者になっていくのです。明日は我が身だということを想定しておかないと日本は住みづらく、活力のない国になってしまいかねません。
![]() 美味しい飲み比べセットあります。酒米王様「山田錦」で仕込んだ至高の飲み比べ違いを感じてみ... |
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。