またやっている。ある世代をどうのこうのと評論することは、東京都民は駄目だとか、大阪市民はいいかげんだと評論するに等しく、そこに住んでいたとしても、それは誰のことだろうと思ってやり過ごすというのが普通であり、まあ世間がそういうのだからラベルぐらいは付けておいていいかぐらいのスタンスでおります。
なにのことかというと、団塊世代が影が薄いとか、責任とれと空しいことを書いている人がいた( 404 Blog Not Found「父さんたちははたして革命的だったのか?」)のと、昨夜近所で飲んでいてそんなことを言っていた人がいて、いい酒の肴になったということがあり、連続したので一応書いておきます。
影の薄さという点では、別に影の濃さを競っている訳でないのでどうでいいのだけれど、一般論として、そうなってきたのは、この世代が働いてきたのはモノを中心とした経済のまっただなかであり、経済の中心軸がソフトに移ってきた流れのなかで存在感が薄れてきたとしても仕方ない現象でしょう。
世代がどうのこうのというのは、誰かをスケープゴートにして、自分自身の存在を主張したがる危なっかしい昨今の風潮のなかでは受けるかも知れませんが、反論がないと自慢げにしている様は、誰もいないリンクで一人でボクシングしているようなものに過ぎませんね(笑)。
実際に国政を動かすのは、ひとつの世代ではなく、いくら団塊の世代の人数が多いとはいえ、価値観も多様でしょうし、まとまった政党として「団塊党」なんていうものができるわけでもありません。世代という実態のない世界にもぐりこむことは、個人としての存在なり責任を覆い隠すことにもつながりかねません。
責任ということをどうしても押しつけたいのなら、さあ責任をとってみろよと、違う世代を向かって叫んで悦に入るよりは、まずはご本人ならどのように責任をとるのか示して欲しいものです。そうでないと言いがかりにすぎません。
政治の世界に打って出て、首相にでなって責任をとるのか、稼いで税金を人の倍ぐらい払ってくれるのか、あるいは公務員をリストラしてくれるのか、どんな責任の取り方をしていただけるというのでしょうか。
普通相手に向かって、お話しする場合、自分はこう責任をとるのであなたはどのように責任をとって頂きますかとやるのが、少なくとも礼儀というものです。ビジネスの世界でもそうです。なにか反論があるなら、ご連絡くださいね。こういった話しはもうブログには書きたくないので、美味い酒でも飲みながらとことんやるというのはどうでしょうか。いつでもお相手しますよ。
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いつも楽しく拝読させていただいております。大西さまのエントリーに触発されて「ポスト団塊の世代から見た団塊」について記事を書きましたのでトラバさせていただきました。