ついこの間、SONYが金融部門を売却して、「エレクトロニクス分門に集中投資して立て直すという改革プランを報道した日経の記事をあっさりSONY側が否定するという出来事がありました。日経も、なんらかの信頼できるソースからスクープしたのでしょうが、なあんだこういうこと(ソニー会長、英紙に不満表明・「事業整理の熱意ない」)だったのですね。
経営の内部は改革しなければならないということについては、総論賛成各論反対で、我が身の痛みは嫌だという守旧派役員が多数派だったりして、結局はまとまらず、焦点のさだまらない中途半端な計画しか示せないということでしょう。
世界のSONYだとかなんとかおだてられ、それを誇りに働いてきた人びとにとっては、SONYが沈んでいくことなど信じられないし、絶対信じたくないのかもしれません。さっそくR30::マーケティング社会時評さんが、ストリンガーさん、終わったかも…というエントリーで、ソニーの経営陣の問題もさることながら、改革の戦略や戦術がないストリンガー会長に厳しいご意見を書いていらっしゃいます。まあ、その通りだと思います。R30さんが書いてらっしゃるように、きっとこんな感じなのでしょう。
FT紙へのこのコメントが、問題点を如実に物語っている。つまり、ストリンガー会長は「ソニーに助けてくれと頼まれたんだから当然身を切るリストラの覚悟はできてるんだと思っていた」、一方の役員会は「助けてくれとは頼んだけど悪いのはオレじゃなくて隣の奴なんだよね」って口々に言い張ってるって状況だったと。 もうね、アホかとバカかと
2000年当時からR30さんが「ソニーはヤバイ。このままだと本当にボロボロになるよあの会社」i言い続けていたにもかかわらず、まわりの人たちが信じなかったというのは、やはりSONY神話がいかに深く人びとに浸透していたかを物語っています。
幻想ばかりが見えて、事実を見なくなるから神話なのです。それがSONY製品のファンならいざしらず、SONYで働く人びとまで神話に浸っていたのではないでしょうか。冷静に見れば、2000年にSONYショックが起こった時からすでにSONYの危うさは発覚していました。2000年にSONY株が急落したのは、株価の低迷などで各基金とも予定利回りの確保が困難となり、厚生年金基金の代行部分の返上に伴う売り圧力が引き金となったとはいえ、SONYが、大量の在庫を処分し、大幅に営業利益の下方修正を行わざるをえなくなったこと、しかも先行きになんら具体的な収益改善の見通しが見えなかったからでした。
SONYのエレクトロニクス部門は収益の柱であったブラウン管が成熟してから、次の金のなる木を生みだしていません。薄型テレビに市場の焦点が移っていくにつれ、むしろテレビでは、投資でも、技術開発そのものも他社に遅れをとってきました。SONYの強みや独自性を発揮する分野をついに見いだせないままに、誰が考えても収益の上がるわけがないVAIOに力をいれたり、話題だけはとれるけれど事業にならないロボットをやってみたり、クオリオという自己満足でしかない商品をやって欠陥商品がでしてみたり、迷走につぐ迷走を繰り返し、ついには、ウォークマンの牙城ですら、appleに浸食され、追い抜かれてしまいました。
しかも今回の経営再建計画も、どこを見ても、新しい視点や切り口が見えてこず、それなら出井さんの「トランスフォーメーション60」の改善版にすぎないと映ってしまいますし「エレキの復活にはテレビの復活が不可欠だ―ソニー・中鉢社長」という記事を見るとなにか問題の立て方が違うのではないかと思ってしまいます。リアプロジェクションテレビで新ブランド「BRAVIA(ブラビア)」が発表されていましたが、すでに「ソニーがTV新ブランドBRAVIA発表、製品仕様にちぐはぐ感」という書かれ方です。低価格でアメリカ市場は巻き返せたとしても、本当に利益がでてエレクトロニクス部門再建につながるとはとうてい思えません。
マーケティングの世界で、「負け犬は切って捨てて、勝ち馬に賭けろ」という格言があります。SONYが捨てるべきは「エレクトニクス」というコモディティ化の一途を辿っている世界、だからこそ敗北してきた世界であるはずで、「エレクトロニクス」では語れない新しいコンセプトや切り口が見いだせないなら、当分再建の見通しは期待できません。
![]() 美味しい飲み比べセットあります。酒米王様「山田錦」で仕込んだ至高の飲み比べ違いを感じてみ... |
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。