戦後60年と言うことで、各紙が社説で取り上げています。各社の視点は微妙に違いますが、歴史をを問い直そうという主張が多いように感じます。社説は苦手だと言う人もぜひ今日のは比較しながら読まれることをおすすめします。読み比べるには『新聞コラム社説リンク』のサイトが便利です。

ところで、産経新聞の社説のなかで、多くの人々の歴史観を決定づけるような大戦争や革命は、60年ほどたつと評価や見方、いわゆる歴史観が不思議なくらい大きく変わり始めるという国際政治学者の中西輝政氏の「歴史観の六十年周期説」を紹介しています。まあ中西さんが主張すると、間接的に自分の持つ歴史観が主流だとといいたげだと感じてしまいますが、60年経って、日本もそろそろ自らの進路を自分の頭で考えないといけないという自覚が生まれつつあることは事実だ思います。
さて日本の場合、歴史観が変わるというよりは、歴史観を持たなかった、あるいは歴史観を持つことが暗黙の内のタブーとなって、思考停止していたというほうが事実に近いのではないしょうか。だから、いまだに、第二次大戦は明治以降の日本にとって避けることのできない宿命のような戦争であり、運命なので誰も責められないといった主張とか、もっと酷いのはアジア解放のための自衛戦争であったとかといった主張をする人びとを生み出してしまい、それが近隣諸国の嫌悪感に火を注ぐ結果となってしまっています。

これも東京裁判の裁定に結果をゆだね、日本自らが戦争責任を問わなかった結果の産物といえるかもしれません。だから東京裁判の不当性を暴けば、日本は悪くなかったのだというような論理のすりかえをする人びとの主張を許してしまっています。東京裁判が不当であることと、日本はなぜ勝ち目のない戦争に突入し、出さなくとも良かった犠牲まで犠牲を広げてしまったのか、何が問題であり、なにに責任を問うべきで、なにを教訓とすればよいかを敗戦から学ぶことは本質的に違います。
いろいろな歴史の見方はあるでしょうが、第二次大戦の悲劇、あるいはそのなかで本来なら犠牲にならなくともよかった多くの人びとまで犠牲にしてしまった愚行があったのは軍部という肥大化した官僚組織が暴走させてしまった結果だということです。もちろんそれだけではないでしょうが、その核心を問わないと歴史に学ぶ知恵が生まれてきません。事実、官僚主導の国家体制は戦後もいまなお続いてきました。
軍部という官僚主導の国家体制による失敗は、民間人も含め第二次大戦で310万人という尊い犠牲者を出しましたが、組織こそ違っても官僚組織が、霞ヶ関主導の国家体制で、国家破綻に向かってまっしぐらにつきすすんで、とんでもない財政赤字をため込んでしてしまいました。
うまく使えば役立つはずの官僚も、組織を改革せず、なすがままに放置した結果、さらに政治に統治能力が不足していたために日本のガンとなってしましました。
日本のもっとも重要な課題は、いったい誰が、どうすれば官僚を統制し、明治以降続いてきた発展途上国型の官僚主導体制からどう脱皮できるのかでしょうが、すくなくとも小泉さんは郵政改革がその突破口だといっています。民営化は統治の仕方の問題であり、民営化すればバラ色というのは間違いだと思います。まだ具体性があるとはいえ、あの公務員体質の郵便局員と利権に甘えてきた特定郵便局が民営化されたからと言っていきなり活性化するとは到底思えませんね。
さて一方の民主党はどう官僚王国からを打破する戦略を語ってくれるのでしょうか。人件費削減するというだけで可能なのでしょうか。それは絶対必要としても、それだけじゃなく、しみも変えていく必要があると思うのですが、どうでしょうね。以前からの主張のように政権交代が、官僚支配を崩すという主張を押し通した方が説得力があるかもしれませんが、ちょっと無理があるでしょうか。すくなくとも、郵政民営化が少子化対策となるという人を馬鹿にしたような論理よりはましでしょうけれどね。
いずれにしても不毛な選挙にならないように、どちらを選ぶのか、国民がいい意味で悩むぐらい自民・公明連合も民主党も知恵を出し合って頑張って下さいね。あっ、共産党とか、社民党とかもあったんですね。そうでしたね。忘れていました。

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