古いタイプのベテラン営業の人たちと、(すみません、言い換えます)長い間、営業畑一本で育ってこられた方とマーケティングの分野で育ってきた私とでは、「営業観」で若干の違いがあります。しかし、文句なしに一致するのは、「営業は動いてなんぼ」ということです。
マーケティングで育ってきたというと、どうせ書籍を読んだ知識とか、デスクにしがみついて頭だけで仕事をしてきたんだろうという誤解をうけそうですが、それはマーケティングの「評論家」の人たちの世界であったり、マーケティングに関する知識の「翻訳」とか「解説」をする人たちの世界です。マーケティングの分野では、私もそうとうベテランの部類に入りましたから言わせてもらいますが、マーケティングの現場も、実は「動いてなんぼ」です。
マーケティングで育ってきたというと、どうせ書籍を読んだ知識とか、デスクにしがみついて頭だけで仕事をしてきたんだろうという誤解をうけそうですが、それはマーケティングの「評論家」の人たちの世界であったり、マーケティングに関する知識の「翻訳」とか「解説」をする人たちの世界です。マーケティングの分野では、私もそうとうベテランの部類に入りましたから言わせてもらいますが、マーケティングの現場も、実は「動いてなんぼ」です。
営業の場合、「動く」ということは、お客さまのところへ足腰をつかって訪問し、お客さまに働きかけて、購買を促したり、情報を得たり、お客さまに役立つ提案をすること、(これから暑くなってきます。くれぐれもお体を大切に)、さらに上司の人や社内外の協力先に働きかけて、お客さまにより満足いただけるような対応を促進していくことになります。また、社内同士のノミニケーションや得意先の接待もあるでしょうし、会社の枠をこえた交流で、新しい情報や、考えかたに触れる機会をつくるというのも「動く」ということですね。blogだって手を動かさないとつくれません。
マーケティングの分野でも、積極的に動くと、生活者やユーザーの人たちの生の声が聞けたり、売り場でお客さまの買い方を観察できたり、店員さんや店長さんの声を聞けたりします。さらに、他部門の人から「会議」の枠をこえた生の意見も聞けます。
さて、どうすればいい「知恵」に巡り会えるか、またいい「知恵」がでてくるのかです。なにをさしおいても「動け」です。悩むよりは「動け」です。知恵の世界は「犬も歩けば棒にあたる」世界なのです。なぜそうなのでしょうか?
ひとつには、情報や知識を組み合わせながら、人はそこにどんな「意味」があるのかを見いだしていきます。どうも組み合わせて新しい意味を見つけ出すには、情報や知識の「量」「深さ」「幅」の3次元が必要なように思えます。
どんな達人やカンのいい人でも、数少ない情報や知識だけでは、「意味」を発見することができません。達人やカンのいい人は、普段から、さまざまな情報や知識を集め、「量」「深さ」「幅」の3次元の蓄積があるから、ちょっとした新しい情報や知識からだけでも、もともと持っている情報や知識と組み合わたり、類推をしながら、新しい「見方」や「意味」を発見できるのだと思います。
「こうではないか」という新鮮なアイデアがでてきた、その瞬間だけで判断して、さすが頭がいい、できが違うと思うのは間違いです。「動いてきた歴史」がちがうだけです。
心配することはありません。どんな人であれ、「問題」をたてる能力があり、いったん「問題」をたてると、「問題」を解決するために、意識を働かせる能力が備わっています。だれしもが、カンのよい、達人になる能力を持っているということです。だからこそ、昔から、「問題意識を持て」とか「高い目標意識を持て」というのではないでしょうか。
深い「問題意識」があると、とくに意識しなくとも、勝手に、鋭いセンサーや性能のよいフィルターが頭のなかにできあがってくるそうです。また情報の組み合わせを意識下ですら行い始めるというからすごいですね。
後は、いい情報と巡りあうように動けばいいだけです。よく動いた人にはいい情報のご褒美があるものです。短期的には、動かない人にもラッキーがあるかもしれませんが、長期的にはバランスがとれてきます。それに、いい情報というのは待っていても集まってきません。動いて取りに行かないとめぐり会えないのです。「事実は小説よりも奇」といいますが、おなじように、実際のお客さま、また売り場、人のネットワークといった、生きた現実にふれていかないといい情報には、めぐり会えません。よく、会社の中で業者の人を呼びつけて、話を聞いて情報通ぶっている人がいますが、そんな情報は、業者の人に都合のいい情報ばかりで、なんの役にも立ちません。
それに、情報とか知識として「知った」、「わかった」だけでは、「問題」は解決しませんね。なにかを手本に実際に動いてみて、「できた」ときに、はじめて生きた「知恵」として身に付きます。さらに、いろいろ失敗したり、成功したり、恥をかいたり、喜んだりしながら、現実から知恵を学びとり、ひとつづつ身体で覚えていくうちに、いつの間にか、状況に応じて、「知恵」と「知恵」を組み合わせるという高度な芸当もできるようになってくるように思います。これも実際に「動いて」体験していくということですね。そうして「問題解決者」として、知恵を駆使する能力が身に付いていくということです。
身体を動かせば知恵がでます。いちど試してみてはどうでしょうか。
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ありがとうございます。(^_^.)
マーケティングの分野でも、積極的に動くと、生活者やユーザーの人たちの生の声が聞けたり、売り場でお客さまの買い方を観察できたり、店員さんや店長さんの声を聞けたりします。さらに、他部門の人から「会議」の枠をこえた生の意見も聞けます。
さて、どうすればいい「知恵」に巡り会えるか、またいい「知恵」がでてくるのかです。なにをさしおいても「動け」です。悩むよりは「動け」です。知恵の世界は「犬も歩けば棒にあたる」世界なのです。なぜそうなのでしょうか?
ひとつには、情報や知識を組み合わせながら、人はそこにどんな「意味」があるのかを見いだしていきます。どうも組み合わせて新しい意味を見つけ出すには、情報や知識の「量」「深さ」「幅」の3次元が必要なように思えます。
どんな達人やカンのいい人でも、数少ない情報や知識だけでは、「意味」を発見することができません。達人やカンのいい人は、普段から、さまざまな情報や知識を集め、「量」「深さ」「幅」の3次元の蓄積があるから、ちょっとした新しい情報や知識からだけでも、もともと持っている情報や知識と組み合わたり、類推をしながら、新しい「見方」や「意味」を発見できるのだと思います。
「こうではないか」という新鮮なアイデアがでてきた、その瞬間だけで判断して、さすが頭がいい、できが違うと思うのは間違いです。「動いてきた歴史」がちがうだけです。
心配することはありません。どんな人であれ、「問題」をたてる能力があり、いったん「問題」をたてると、「問題」を解決するために、意識を働かせる能力が備わっています。だれしもが、カンのよい、達人になる能力を持っているということです。だからこそ、昔から、「問題意識を持て」とか「高い目標意識を持て」というのではないでしょうか。
深い「問題意識」があると、とくに意識しなくとも、勝手に、鋭いセンサーや性能のよいフィルターが頭のなかにできあがってくるそうです。また情報の組み合わせを意識下ですら行い始めるというからすごいですね。
後は、いい情報と巡りあうように動けばいいだけです。よく動いた人にはいい情報のご褒美があるものです。短期的には、動かない人にもラッキーがあるかもしれませんが、長期的にはバランスがとれてきます。それに、いい情報というのは待っていても集まってきません。動いて取りに行かないとめぐり会えないのです。「事実は小説よりも奇」といいますが、おなじように、実際のお客さま、また売り場、人のネットワークといった、生きた現実にふれていかないといい情報には、めぐり会えません。よく、会社の中で業者の人を呼びつけて、話を聞いて情報通ぶっている人がいますが、そんな情報は、業者の人に都合のいい情報ばかりで、なんの役にも立ちません。
それに、情報とか知識として「知った」、「わかった」だけでは、「問題」は解決しませんね。なにかを手本に実際に動いてみて、「できた」ときに、はじめて生きた「知恵」として身に付きます。さらに、いろいろ失敗したり、成功したり、恥をかいたり、喜んだりしながら、現実から知恵を学びとり、ひとつづつ身体で覚えていくうちに、いつの間にか、状況に応じて、「知恵」と「知恵」を組み合わせるという高度な芸当もできるようになってくるように思います。これも実際に「動いて」体験していくということですね。そうして「問題解決者」として、知恵を駆使する能力が身に付いていくということです。
身体を動かせば知恵がでます。いちど試してみてはどうでしょうか。
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