ある会議室での出来事です。最終デザインを会長にお見せして承認していただこうという会議です。マーケティングの狙いなど、いろいろ説明して、デザインを会長にお見せし、説明をはじめたとたんの出来事でした。

「君、このデザインで本当に売れると思っているのかね」
「こんなデザインは品がない。私は嫌いだ」


会長の重みのあるお声に、説明していた部長も、出席していた人たちも凍りつきます。会長は、まったくお気にいらない様子です。

「他に案はないのか」

慌てて、おずおずとお見せしたダミー案に
「こっちのほうが明るくて、若い人にも受けるだろう。どうなんだ」
誰も援護射撃してくれません。それからは会長の独壇場です。

「色は赤がいいのじゃないか」
「角にアールをつけて、もうすこし丸みがあるといいねえ」


会長のひと言ひと言に誰もが頷くだけです。誰も納得していないのですが、人事権を握っていらっしゃるので逆らえません。結局はそのダミー案で発売が決定します。
こういう会議でどれだけ多くの商品が失敗してきたことでしょう。そんな商品が売れる方が奇跡なのですが、そんな奇跡は起こってくれません。市場の目は厳しいのです。一個人の趣味、しかもお客さまから遠く離れた人の趣味が通じるほど甘くありません。
今やこういう会社はめずらしくなりました。いかに経営のトップといえども、自分の趣味を押しつける方はめったにいらっしゃいません。リサーチしてみて、どのようなことが支持されたのか、なにが意思決定する際に鍵になるのかといった本質的な議論が闘わされる会議が増えてきました。マーケティング発想、お客さま、また市場から発想するということが当たり前になってきたからです。
だから、PSP問題で

「これが、私が考えたデザインだ。使い勝手についていろいろ言う人もいるかもしれない。それは対応するゲームソフトを作る会社や購入者が、この仕様に合わせてもらうしかない」

と言ってのけたソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の久多良木健社長の発言が人びとを驚かせ、また話題となりました。

昨年、プロ野球がいかにファン不在の経営をやってきたのかが問われました。ファンの人たちにとっては球界経営者の考え方や体質が異常に映りました。選手会のスト問題でも、球団経営者から、いかにもファンの気持ちを分かっていないという発言や行動が相次ぎ厳しい批判が高まり、むしろ選手会に同情が集まりました。
そういったファン不在の経営の中枢に座っていた張本人が復帰します。もちろん、プロ野球全体の問題では、その人だけが悪かったわけではないでしょう。みんな共犯者です。しかし巨人をこれだけ駄目なチームにした責任はその老人が負うべきであることに異論を挟む人はいないでしょうし、モラルの感覚が欠けているという批判も当然起こってくるでしょう。しかし、この老人にはファンの姿は見えていません。おそらくお客さまという感覚が欠落したまま齢を重ねてしまったのでしょう。

悪いことに、この老人は、かつて共産党員であった学生時代に、おそらく信奉していたスターリンから権力闘争のコツを学んだようにも思えます。反対する人は徹底的に粛正するということです。権力を握るためには手段を選びません。やがて、恐怖のあまりに、誰も反対も、まともに意見をいうことすらできない状態になり、老人はどんどん裸の王様になっていきます。いまどきの経営者としては珍しいタイプですね。

そういった人を野放しにしている読売新聞の体質ですが、ちょっと普通ではありません。こういう状態ではでは誰が会長をやめさせることができるのかという会社の統治の問題、ガバナンスのありかたが新聞社といえどもやはり気になります。マスコミは権力から自由でなければならないということが、経営を不透明にしたり、ガバナンスを曖昧にしてしまってしまっているのではないかとすら感じさせられます。この老人が暴走しても、モラルに反する発言や行動を行ったとしても誰もブレーキをかける勇気のある人は社内にいないのではないかと危惧します。渡辺問題は、ひとえに読売新聞問題だということです。よほどファンが納得することをやらない限り、きっと批判の矛先は読売新聞に向かっていくのではないでしょうか。

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