
互いにどう考えるかが異なり、しかもそれがそれぞれの思い込みとなってしまい認識のズレが起こり不都合が起こることがあります。それが、今回の首都圏を中心とした「計画停電」による混乱の最大の原因だったのではないでしょうか。しかもみんなが異なる認識のもとに、真面目に、正しく互いに行動したために起こったのです。
東電としては、これはインフラ企業の習性ですが、できるだけ停電を避けようという意識で貫かれています。実際、日本はよほどのことがない限り停電がなく、しかも停電が起こっても復旧の速度が早いことは阪神淡路大震災の時も感心したものです。
今回も、おそらく電力が不足したときは、それぞれの地域で電力供給を止めることがあるという予告のつもりだったのでしょう。だから、東電側もまさか「必ず停電する」と相手が受け止めるとは思っていなかったのだと思います。
つまり、自分たちの思い込みで、誤解が生まれることを予測できずにいたわけで、受け取り手の立場に立って広報するという基本ができていなかったということです。巨大企業の官僚的体質そのものです。
また悪いことに記者の人たちは、それを「必ず停電する」と錯覚し、思い込んでしまったのでしょう。また、ちきりんさんが書いていらっしゃるように、「輪番停電」、「計画停電」という言葉は最悪でした。その言葉がさらに、「必ず」「計画的に」「停電する」という思い込みを強めたものと思います。だから、基本的な質問をせず、かならず停電すると思い込んだまま報道してしまったのでしょう。
首都大混乱 by 「計画停電」 - Chikirinの日記 - BLOGOS(ブロゴス) - livedoor ニュース :
専門知識がなくとも、電力供給のしくみ、インフラ企業の習性をある程度知っていれば、必ず停電させるのか、あるいは場合によっては停電させるのかを質問をしていたはずです。決して結果で言っているわけではありません。常識の問題です。
東電を激しく非難していた記者の人がいましたが、マスコミ側にもまったく責任がないとは言えません。東電の広報もまずかった、報道側も拙速的に思い込んでしまったことが複合した結果だったと感じるからです。
しかし、自らの報道を反省せず相手だけ一方的に責めるというのは品格が問われます。そうやってマスコミの記者への信頼が揺らいできていることに早く気がつくべきだと考えます。おそらくそのような記者は一部だと思います。しかし、イメージは100−0=0の世界なのです。
そういった誤解があったことは、ある程度しかたないことかもしれません。なぜなら電力会社は絶えず、電力の需要量の変化に応じて、刻々と発電量を調整し、供給量を調整しています。日本は先進国のなかでも優れたしくみや調整力を持っています。
しかし今回は経験したことのない、その真逆の事態が起こったのです。発電し、供給できる量が大きく減少してしまったために、需要を抑えなければならない事態が生じました。夏場の電力消費のピーク時には、工場やビルなどの空調などでの節電を中心に、また広く一般家庭にも節電を呼びかければ調整が可能でしたが、供給可能電力量が四分の一も減少するということは東電も経験したことがなかったはずです。
大口電力を消費する鉄道は、計画的に間引き運転したり止めることへの協力を依頼しやすく、消費電力量の予測がついたとしても、工場や商業施設、オフィスビルなどが、どれぐらい稼働し節電協力をしてもらえそうか、また一般家庭での節電がどれくらい行われるかを予測しろというのはどだい無理な話です。
実際には予測以上の節電が行われ、それに基づいて停電を予告した地域にも、電力を止めず供給したということでしょう。通告通りに停電させることは、東電にとってはもっとも容易な官僚的選択ともいえます。それのほうが混乱が起こらなかったかもしれません。
しかし、そこには病院施設などがあり、停電によって致命的な問題が起こる懸念もあります。東電は、インフラ企業の使命感で、それを避けたかったから、節電協力によって電力にゆとりが生まれ、停電させなかっただけです。その行為をかならずしも非難することはできません。こういった非常時に必要なことは、ある程度ギクシャクがあっても、それを認める寛容さが必要だと感じます。
むしろ節電に動いた人たちの意識の高さがあり、だから電力にゆとりが生まれたことこそ褒められるべきことであり、それは日本が誇ってもいいことだ思います。
人には誰しも「思い込み」があります。しかも暗黙のうちにそれが共有され、了解されているから、人間関係も社会も円滑に回ります。しかし、場合によってはそれがギャップを生み出すこともあるということです。
しかし変だと思うのは、電力がまったく不足していない関西で、マクドナルドに「節電ご協力のお願い」というビラが貼られ、店内照度を下げていると書かれていました。節電すること自体は悪いことではないのでいいのですが、このタイミングで、ことさらそうすることがいい結果を生むとは思えません。
それなら、節電よりも義援金協力をお願いしたほうが適切です。あるいは節電で浮いた費用を義援金として送るというのならビューティフルなアイデアかもしれません。意地悪く見れば、震災にかこつけて、たんにコストを抑える言い訳にしているとすら感じてしまいます。
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