今、木村剛さんの提唱されている『ブログ新聞』で、モラルの問題が取り上げられているようです。モラルの問題を考えると、ため息がでそうです。日本の社会は、モラルに関しては複雑骨折、あるいは慢性の合併症と言う状態になってきているように思えます。
でも、社会生活がある限り、モラルが大切なことであることは言うまでもありません。モラルが低下してきているというのは多くの人たちが感じていらっしゃることと思いますが、いくつもの種類の違うモラルやマナーの低下があり、それぞれ問題が異なるように思います。最初に提案したいのは「人に優しくするココロ」づくりとその実践にむけた教育の充実です。
優先座席は誰のためにある?
私事になってしまいますが、出産前の娘がいます。娘がいわく、電車で優先座席の前に立っても、席を譲ってもらえることは滅多にないそうです。時々、譲ってあげて欲しいと、座っている人に注意してくれる若い人もいるそうですが、平気で座り続ける若い人もいるそうです。先日は、若い人が知らん顔をしているのを見かねた、年配の女性が席を譲ってくれたそうです。
ベネッセが開いている会員制の女性のための掲示板で、こんな投稿があったそうです。その女性は妊娠しており、優先座席に座っていると、年配の女性が電車に乗ってこられました。隣にいたオジサンが、おまえは若いんだから席を譲れといきなり大声で怒鳴ったそうです。その言い方に頭に来た女性が、「私は妊婦ですが、あなたはどこかお体が悪いんですか?」と反撃すると、「妊婦なんて、家でゴロゴロしているだけだろう」とオジサンが言ったそうです。それを聞いていた年配の女性が怒りだし、オジサンに向かって、「あんたはいったい誰から生まれてきたと思っているの」とオジサンを撃退して席を譲らせたという話です。
こんなこともあったそうです。小学生の一団が電車に乗っていました。優先座席もすべて占拠状態。その一団には引率の若い女性の先生がついていましたが、なにも注意しません。見かねて、娘がその先生に注意したところ、謝るだけで生徒にはなにも注意しなかったというのです。なにか世の中の実態を物語っているようです。

個人差が激しくなったモラルの意識
そんな人たちがいるかと思えば、ボランティア活動に積極的に参加し、社会貢献に熱心な若い人たちもいます。現役のスポーツ選手と接触する機会があるのですが実に礼儀正しいですね。酔って騒ぐことはあっても、電車ではちゃんと席を譲ることができる人たちです。人への思いやリがあります。モラルの意識があるかないかは、どうも年齢の問題ではないことだけは間違いありません。
きっと、モラルを守る、あるいはそういう意識があるかどうかが、極めて個人の問題になってきているのだと思えるのです。つまり育ってきた家庭や環境で差がでてきているように感じます。つまり社会がしつけなくなったということではないでしょうか。現代は、他人の迷惑を無視して自分のしたいことをやっていても社会からはじかれることもありません。日本はよほどの犯罪をおかさないかぎり、なんでもありの社会です。
本来、モラルは個人と社会がどのように関わればよいかという心構えの問題であり、人と人が対立しないでどう一緒に気持ちよく過ごしていくかという知恵です。地域のコミュニティがしっかりしていた時代は、近所の大人が子供たちにモラルを教えてくれました。また子供たちも、年齢の違う子供たちと遊んでいましたから、弱い子を誰かが守るという知恵が自然に身に付く環境がありました。しかし、今は地域のコミュニティがやせ細っていっています。隣近所が誰か分からないということも珍しくありません。

しつけのできない親たち
モラルを教える地域社会も弱く、モラルをしつける家庭も減りました。というかしつけのできない父兄が増えました。考えても見れば、その父兄の人たちのさらに親の世代が、戦後の混乱期で育ち、モラルの意識が危うくなった世代ですから、ことは簡単ではありません。
よく電車で、お母さんが駆け込んで席を取り、子供に座らせている光景を見ますが、よほど小さな幼児ならともかく、子供は立たせておけばいいのです。子供もそのほうが楽しいのです。過保護に驚かされます。そんな子供が大きくなって席を譲るわけがありません。
「嘘をつくな」とか「人に迷惑をかけるな」というしつけをする人もいらっしゃいますがどうでしょう。本人だけがしっかりしても人間関係はうまくいきません。それよりは、「弱い子供は守ってあげなさい」「いじめを黙って見過ごしていてはいけない」「困っている人には親切にしなさい」といったしつけをしたほうが子供のためにはいいのではないでしょうか。

期待したい学校でのトレーニング
学校でも、そんな人間関係を営んでいくための知恵を教えることに失敗しています。いじめの問題がおこったり、個性的な子供が排斥されたり、見捨てられたりしています。
問題は、いろいろあるでしょうが、その改善も含めて、まずは、学校でしっかり人間関係のマネジメントを教えることからスタートするということを提案します。大人を変えることは難しいですからね。
子供たちに、「人に優しくする」ことを、いろいろな体験を通して学ばせるということです。これは二重の効果がありそうです。先生も教えることで学べます。教えることは学ぶことですから。
ただ、それが「道徳教育」だという冠となったとたんにしらけてしまうのです。また戦前教育のノスタルジーかと思ってしまいます。戦前の教育がかならずしも悪いと言うことではありません。戦前の教育が優れていた面もあると思います。しかし戦前にはしっかりとした地域コミュニティがあり、それが支えてくれていました。状況が全く違います。それに戦前の道徳教育には、それはそれで大きな問題がありました。
さて、学校によっては、地域のお年寄りとの交流やボランティア活動への参加がおこなわれているようですが大切な経験だと思います。小さな時からディベートの練習をさせ、相手の人の言うことに耳を傾けるトレーニングもやったほうがいいですね。できることはいくらでもあります。そういった小さな積み重ねを、まずは学校教育で実現していって欲しいところです。

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