昨日は、植村さんの生地である兵庫県日高町にある植村直己冒険記念館に行ってきました。
植村直己さんが、マッキンリー冬期単独登頂に成功し、帰還の途中で亡くなられてから、もう20年が過ぎました。消息が絶えた後も、誰もが、きっと植村さんは照れ笑いしながら生きて帰ってくるに違いないと信じていたのですが、帰らぬ人となってしまわれました。
もう20年ですか。20年というと若い人たちには、映画「植村直己物語」で見た西田俊行さんのイメージしかないかもしれませんね。ひょっとすると、ご存じない人もいらっしゃるかもしれません。
植村さんの人なつっこい笑顔は、今回のアテネ・オリンピックで、世界の舞台で堂々と「自分自身」へのチャレンジを見せてくれた選手たちの爽やかな笑顔となぜか重なって見えてくるのです。

植村直己物語
植村さんは自分はたいした人間ではないと、つねに照れながら、情熱に駆られて途方もない夢を描きつづけ、極限にチャレンジしつづけられました。世界のどこにでもでかけていって、現地の人びとにとけ込み、愛された植村さんは、私たち日本人の本当の強さのとは何か、日本人の自尊心は、どこに持つべきかをも教えてくれような気がします。以前紹介した江戸時代の高田屋嘉兵衛にしても、ロシアの人々の懐に飛び込み日本の危機を救いました。
もともと、大陸や半島から、また南の島々から移住してきた人びとの混血である私たち日本人のDNAには、柔軟に異文化を吸収し、さらに磨きをかけて自分のものにしていくという才能、どこの国の文化にもとけ込んでいく能力があるように思えてなりません。
植村さんは、決してエリートではありませんでした。明治大学の登山部に入っても、なかなかついて行けず、迷惑をかけまいと、ひとりでコツコツ登山にチャレンジして自分を鍛えたという努力家でした。
根っから人に対する思いやりをもった方だったそうです。日本人としてはじめて世界最高峰エベレストを登頂したときも、頂上手前で立ち止まり、先輩であった松浦さんに最初の登頂を譲ろうとしたそうです。結局はふたりで肩を抱き合って二人で登頂したといいます。しかも、自分のカメラを捨て、下で待つメンバーのためにエベレストの石をリュックに一杯詰めて帰ったというエピソードも残っています。
努力家といえば、「南極を犬ぞりで横断する」というチャレンジに向けて、自らを鍛えるために、北海道の稚内から、日本を縦断し、南極を横断する距離3000キロを歩いたというのですから並の努力ではありませんね。東京の板橋に、植村冒険館があり、ちょうど今「どんぐり、日本列島を行く 〜植村直己・徒歩縦断3000劼料患録〜」の企画展が開催されているようようです。

世界、特にアジアの近隣諸国から嫌われているのは政治家は多いですが、植村さんのように、現地にとけ込み、海外の現地の人びとから愛され、尊敬されている日本人は数多くいます。あれだけの力走をしたマラソンの野口さんのはにかむ笑顔のなかに、日本人の本当の強さが隠されているように思えてなりません。

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