松本智津夫らのオウム死刑囚7名の刑が執行されました。そこには、教団の科学技術省大臣として、表舞台にも登場し、サリンの大量製造などを進めていた村井秀夫の名がありません。村井秀夫は、1995年に東京都港区南青山の教団東京総本部前に、取材で押し寄せたマスコミ関係者の目の前で刺殺されてしまったからです。殺到するマスコミの取材陣に囲まれたなかで平然と実行された殺人という点では、1985年に豊田商事の会長が自宅マンションで殺害された事件を彷彿させました。

オウムをめぐってはほんとうに謎が多く、その謎が解明できないままに刑が確定し、また今回は刑が執行されたことになります。被害者のご家族、またいまだに後遺症に苦しむ被害者の人たちが、今回の死刑執行をどう受け止められたのかが気になるところです。

村井が刺殺された事件も未だに真相はわかりません。村井を刺殺した犯人は山口組傘下の右翼団体構成員で、在日韓国人の徐裕行(ソ・ユヘン)です。村井を「義憤でやった」という徐の言葉を額面通り受け止める人はないと思いますが、犯行の背後にどんな組織、あるいは誰がいたのかはいまだに謎のままです。

そして、もっとも大きな謎は、オウムがなにで資金を得ていたのかではないでしょうか。村井秀夫はうっかり記者会見でオウムは1,000億円の資金を持っていると漏らしてしまいましたが、もしそうならオウムが経営していたパソコンショップなどで稼ぎ出せる金額ではありません。

サリンなどの化学兵器開発費用だけでなく、選挙に打ってでた費用、ロシアで兵器を調達しようとしていたことなど、若い信者の全財産を集めたところで、そんな資金をまかなえるとは思えず、なんらかの方法で調達したと考えるのが自然です。しかし、その資金ルートもわかっていません。

もし村井秀夫が殺されていなければ、オウムの裏の裏まで知り尽くした村井秀夫が手がかりになってその全容解明もできたかもしれませんが、残念ながら死人に口なしとなってしまったのです。
オウムは、サリンなどの大量殺人化学兵器の開発や、武器製造など、あきらかにテロを意図した動きをしていたのですが、その黒幕がほんとうに松本智津夫なのか、教団のなかに別のキーマンがいたのかもわかっていません。

国松警視庁長官狙撃事件もオウムの犯行だったのか、松本智津夫が逮捕された
上九一色村のサティアンで大物政治家の子息が身柄を拘束され、その処遇を巡って取引が行われたとか、北朝鮮とつながり、偽ドルや麻薬で稼いでいたとか、朝鮮系宗教団体の別働隊であったとか、オウムの謎や背景に存在する闇について触れ、解明を試みた記事はネットで検索すればいくつも出てきます。

しかし、その後の捜査や裁判で、その謎が解明できないままに松本智津夫らの死刑判決が下され、今回の刑の執行に至りました。捜査能力の限界を感じさせる事件でしたが、それにしても、松本智津夫がLSDなども使い、修行の名目で若い信者を洗脳し、意のままに操り、平気で殺人を犯すまで人格を支配できたことはカルト犯罪の怖さを見せつけました。

オウムのような極端な話ではなくとも、洗脳され、いったん思い込むと、そこからは離れることができなくなってしまい、どんどんその発想の枠組みに縛られ、それに合わない考え方、また合わない人びとを攻撃する。そんな風景はネットの空間でも日常的に見受けられます。

事件当時は洗脳の怖さをさまざまなメディアでも取り上げられていましたが、風化することだけは避けたいものです。

とくに政治から、保守・革新の差異が意味を失い、また浮動票が最大の勢力となるにつれ、逆に情報合戦が先鋭化し、互いを罵り合い、さらに論争ではなく、洗脳に変節しはじめてきたように感じます。それは、社会の目を現実から遠ざけ、発想や思考を硬直化させる危うさ、社会のオウム化につながってきます。

長期的には、ネットが広げた情報の量が、やがて情報の質を高め、社会がそういった情報戦への耐性を高める方向に向かうだろうという希望的観測を持っていますが、複雑で、予測困難な事態が起こる現代こそ、異質を認め、柔らかでしたたかな発想が求められていることを常に意識しておきたいところです。