今年の成人式で、着物の着付けやレンタルの「はれのひ」が突如雲隠れし、晴れ着が届かない、着付けができないなどの被害を受けた人が300名程度もでたというニュースには驚きましたが、振袖レンタルや着付け、写真撮影などをあわせたセット価格は30万円もするそうです。サービス内容を見ると、そんなものかと思いますが、この一日のために30万円もかけるというのには驚かされます。
被害者の人はさぞかしショックだったと思いますが、テレビで、人生でたった一度の晴れの日だったのに気の毒だとか言っていたキャスターがいましたがそれは間違っています。人生でたった一日は毎日やってきているのですから。
同じ日が、二度やってくることは絶対ありません。晴れの日も、雨の日も、その日は人生でたった一回しか無いやってこない一日です。みんなで晴れ着でコスプレを楽しむ機会はもうないというだけで、それで人生が変わるとかという大げさな話でもありません。

ところで、成人の日の式典がなにか伝統行事と錯覚している人がいますが。ハロウインよりは定着してから長いとは言え、いまのように派手になってきたのはごく近年のことだと感じます。成人式は、戦後の埼玉県蕨市で行われた小規模な激励式がきっかけとなり、日本全国津々浦々に広がっていったそうですが、自然発生的に広がってきたという点では、ハロウィンと似ているようです。すくなくとも団塊の世代が成人するころも成人式はあったかもしれないとしても、参加するひとは都市部ではそう多いとはいえませんでした。

それに今や東京が若い世代を吸い取り続けるという流れができてしまっているので、地元の式典には参加できない人も増えてきているのだと思います。

成人年齢を18歳に引き下げる法案を政府は通常国会に提出するそうですが、もし法案が通れば、成人式は受験真っ盛りのシーズンと重なります。成人年齢引き下げはいい機会で、成人式についても再考してみては思います。例えば、なんらかのボランティアに参加し、社会人としてのスタートとする記念日にしてもいいかもしれません。

こういった式典があると、恥ずかしげもなく、大人はこうあるべきだとかと上から目線で訓示みたいなスピーチをする人もでてきます。それは若い世代が自ら考え、学べばいいことでです。それよりは、今の若い世代から、チャレンジする機会や夢を奪う日本の閉塞した文化、チャレンジよりは既得権益を守ろうとする日本の病の克服にむけて社会が努力することのほうがほんとうに必要なことではないでしょうか。

式典でごまかすのではなく、門戸を広げ、活躍できるチャンスを提供することが社会の責任ではないかと思うのです。

なお私事ですが、年末から体調を崩してしまいました。まことに突然で恐縮ですが、メルマガの継続は難しく、今週から廃刊とさせていただきます。申し訳ありません。またこれまで長らくメルマガを購読いただいた読者のみなさまには改めて御礼申し上げます。