いやはや、よってたかって敗者を叩いたところでなんの国民の利益にならないにも関わらず、マスコミは希望の党批判一色です。さらに民進党が分裂したことが問題で、それが与党を勝たせたといった話の展開が多いのですが、どうでしょうか。民進党はまさに沈みゆく泥船で、離党する人たちが相次いでいたことを忘れてしまったようです。今回は「希望の党」ブランドがマイナス効果となったように、「民進党」ブランドも候補者の足を引っ張っていたはずです。民進党が分裂しないで選挙に望んでいても、やはり与党が大勝していたように思います。得票も単純に(希望+立憲民主)になっていたとは限りません。
問題はマスコミに出てきているコメンテーターでも、民進党分裂の意味をわかっていないので、だからそれぞれが、どのような道を歩めば、日本の政治がよくなるといった建設的な意見がほとんどでてきません。しょせん無難に結果を解説しているだけに過ぎなく退屈します。

というか、これまでの政治の、「保守」か「リベラル」か、という対立の枠組みから一歩も抜け出せないでいるのかと残念に感じてしまいます。だから、結局はまるで芸能レポーターのように永田町の政局話でお茶を濁すことになります。国民にとっては、枝野さんがおっしゃるように永田町の「政局」などどうでもいい話です。

確かに希望の党はこれからは大変です。ビジョンも理念もよくわからないままに、小池さんの緑の風に乗ろうとしたのですから。自らのアイデンティティをどこに置くのかからはじめないといけません。でなければやがて消滅してしまいます。それが競争の力学です。

肯定的に考えれば、負けてよかったのです。なぜなら、立憲民主党の枝野さんが身をもって示されたように、自らが何者なのか、何を目指すのかを真摯に訴えれば、国民の共感を呼び覚ますことが可能だからです。負けていなければ、そんな立ち位置を明確にしようという動機は生まれず、最初は凧のように風に乗っても、やがて風がないだときには失速していたはずです。小池離れも選挙に負けたから可能になってきました。

立憲民主党と希望の党で、政策を競い合い、切磋琢磨すれば互いの主張の違いもより鮮明になってきます。ただ、維新がやってしまったように与党の太鼓持ちでは話になりません。その太鼓持ちを演じた足立議員は小選挙区でやはり落選し、小選挙区で二度落ちれば、比例当選は断るとしていたにもかかわらず、屁理屈をつけて比例復活して非難轟々です。

保守か、リベラルかという意味のない対立では、互いに野次は飛び出ても、ほんとうの激しい議論にはなりません。利権が複雑にからんだ団体や企業の立場ではなく、国民の側に立った批判政党としての立ち位置を国民に示し、与党案、というか官僚の筋書きの修正を引き出せる政党になれば、自ずと支持が広がってくるはすです。

希望の党が、マスコミのバッシングに耐え希望の党を立て直せるのか、はたまた混乱しつづけ溶解していくのか。これだけは外野席は見ているしかないのですが、ぜひ立て直しに真剣に取り組んでもらいたいものです。

そういえば民進党はやはり駄目なリーダーたちが続いたと思うのは、100億円の資金のプールがあるということです。それが本当なら、そんなに溜め込んでどうするつもりだったのでしょうか。それだけ資金があれば、政策研究やそのための調査により多くの投資を行い、外部ブレーンの組織化やシンクタンクをつくることもできたはずです。しょせん体質の違う政治屋さんが、選挙のために野合していたに過ぎなかったということになります。

マスコミにでるコメンテーターの人たちには、選挙結果の井戸端会議をやっていないで、それぞれの党がどのような行動を取ることが国民のためになるのかを語ってもらいたいものです。


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