登場人物も多く、何を焦点にして、いつまでやっているのかが釈然としないままに長引いている森友学園問題ですが、ほんとうに国会で取り上げる意味があるとすれば、財務省官僚による情報の隠ぺいが公然と行われていることです。森友学園問題発覚のきっかけをつくった豊中市議の木村氏が、市民230人との連名で、「財務省近畿財務局(氏名不詳)」を「背任罪」で大阪地検に刑事告発し、それが受理されましたが、問題の重要性から言えば、8億円の値引きが正当だったか、安倍昭恵総理夫人の関与があったのかどうかよりもはるかに、官僚が情報を恣意的に消去したこと、あるいはそう証言していることにあると思えます。

官僚が自己都合で、また自己裁量で公的文書を消し去っていいのかという問題です。それは民主主義国家の根幹を揺るがしかねない問題です。国会で議論すべきはこちらのほうです。

しかも、今日は情報を保存するコストがかつてとは比較にならないくらい大きく下がり、だからこそビッグデータの時代も切り開かれてきます。それを、財務省は官僚の判断で文書を消去し、まして再現もできなくしていると言っているのです。時代に逆行することをあえてやっているということです。

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つまり、官僚にとって都合の悪い真実は、わざわざ「手間をかけて」、「無駄な時間を費やし」、「意図的に」葬り去られていることが森友学園問題を通じてわかったのです。

いつからそうしているのでしょうか。つまり財務省は犯罪者かもしれない人が自らの犯行を行った証拠を消せるようにしているのです。官僚による犯罪でなくとも、今回の事案もそうですが、後に、その際の行政判断がどうだったのかを検証することすらできなくしているということです。

それは明らかに国家、国民に対する背任行為ですが、もし現行法で罪に問えないとすれば、しっかりとした法案をつくるべきでしょう。公文書の管理については、2007年に起こった年金記録問題などでずさんな公文書の管理が明らかとなったことを受け、当時の福田康夫総理の指示で法制化されていますが、喉元過ぎればで、また大きく後退し、なし崩しになってしまったのでしょうか。

官僚も人間です。国民のために知恵を使い、働くのではなく、自らの保身のために、不正や不都合な真実隠しに悪知恵を働かしたい誘惑に組織が暴走することは歴史を振り返ればよくあることです。それを監視し、歯止めをかけていくのは国会の役割ではないか、与野党を超えて、そこを議論してもらいたいものです。