あれっと思う記事がありました。自動運転の時代が来れば、「ネット通販で買った商品は、おそらく無人の自動運転車両(小型の輸送ポッド)で購入者の家に配送されているから」、ドライバーレスになり、人手不足は解消されるというのです。
自動運転車がヤマト運輸に取って代わる日 | プレジデントオンライン 

技術信仰というか、その手の誤解は少なくありません。いくら自動運転が実現できたとしても、人は必要です。誰がそれぞれの家のチャイムを鳴らし、届けたことを確認し、もし留守なら誰が不在通知票を置いておくのでしょうか。そもそも誰が車に荷物を積むのでしょう。
ドライバーレスでやるとすれば、コンビニなり、宅配ボックスなりの受取地点があって、そこを往復するだけならまだ実現できるかもしれませんが、それでも荷物の積み降ろしに人手は必要です。ロボットの活用をはかればいいということでしょうか。

実際の業務を考えると、よほどの田舎でない限り、「運転」に要する時間よりも、「配達」する時間のほうがはるかに重要なので、「配達」の自動化のほうが問題なのです。ビッグデータや人工知能、そして通信を駆使すれば、まずは時間帯によって、どの家が不在である確率が高く、またどの時間帯なら在宅確率が高いかが推測できれば、自動コールで電話確認することも可能でしょうし、確実に在宅している家を訪問する最適な巡回コースも割り出せそうです。

自動運転は交通事故を減らすことができるとすれば社会的価値があります。しかし、ドライブの楽しさという視点では、あまり魅力を感じません。

車が自動的に目的地に連れて行ってくれるというのは、たんなる手段の向上にすぎません。車の運転が苦痛だという方には魅力があるかもしれませんが、そうでなければ、自動運転はあってもいいと言う程度の機能です。

年間に2万5千キロ程度は走行しますが、車の機能が向上すればするほど、車そのものへの関心はどんどん薄れ、ドライブで、どこに行くのか、また何を体験するかにしか興味がなくなってきます。

なにかPCの歴史と似ているのかもしれません。かつては、PCの性能には関心があり、パーツを買ってきて自分で組み立てたり、スペックを上げて注文することもありました。しかしもうPCそのものの性能が充分に向上すると、マックのようにあまり考えないで使えるPCのほうが良くなってきます。

確かに昨今運転をサポートしてくれる機能は見違えるほど向上し、また増えてきています。かつてのオートクルーズなら一定速度を保つだけで、それは現実的にはあまり使いものにならなかったのですが、今なら、前の車を自動追尾するので、流れの速度が変わってもそれに対応してくれます。山道などでは、ハイビームとロービームを切り替えないとカーブの状況が確認できませんが、今はハイビームで遠くまで視界を確保し、対向車が来れば自動的にロービームに切り替わります。また歩行者がいて危ないと察知すれば自動ブレーキがかかります。技術はどんどん自動運転にむかっていくのでしょう。ただ、便利さは、商品として見れば大きな価値にはならず、したがってそれぞれの機能の価格は下がっていきます。

自動運転は、ドライブの価値を決める、どこに、誰と一緒に出かければいいのか、またその目的地でなにが体験できるのかなどの目的は探してくれません。その目的の豊かさを広げてくれなければ魅力は薄く、法的な規制によって装備を義務付けることでもしなければ、あまり普及しないことになります。

そう考えると自動車のイノベーション、あるいはリ・インベンションによる進化は、今の自動運転に関わるプレイヤーでなないところから起こってくるのかもしれません。