戦前の教育がいいといわれると萎えます。騒動の真っ直中にある森友学園は、そのいい教訓になりそうです。園児たちが大声で五箇条のご誓文や教育勅語を暗誦している映像を見ると背筋がゾッとします。

明治の頃、日本は急いで欧米に追いつこうと、産業を育成し、近代化を推進しようとしたのが「殖産興業」で、また列強による日本の植民地化を防ぐために軍事力強化をはかったのが「富国強兵」ですが、そのいずれにとっても、黙々と働き、皇国のためには自己犠牲を惜しまない国民を育てる教育が必要でした。

その洗脳教育のために大いに使われたのが五箇条の御誓文や教育勅語です。


とくに教育勅語は、同居していた祖父が戦前の教育者であったために、空で口ずさんでいました。冒頭のあたりは耳で覚えたのでしょうか、今でも空で言えます。

難解な日本語なので戦後教育を受けた私だけでなく、戦前の人たちも教育勅語の意味を理解していたとは到底思えません。

わからないものを覚えさせる。大きな声でみんなで暗誦する。その儀式が重要だったのでしょう。

意味がわからないから、ありがたみが増し、繰り返され行われる儀式が洗脳のツールになります。

国際試合で日の丸があがり、勝ってよかったというのとは違います。それを躾だと園児に強要していた学園側が虚偽の申請を行ったり、通りすがりの小学生に暴力を振るったりしていたのですからおぞましい話です。

皇国理念の教育は、現在の国民主権と矛盾するとか矛盾しないという硬い話はミギやヒダリの論客に任せますが、教育勅語の徳目のなかにはいいことも書いてあるから教育で使っていいというのは思考停止でしょう。

そのもっとも主な狙いの「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」がいいのかどうかは議論の余地があるでしょうし、礼節を知るということでは、別に教育勅語が必要だとは思えません。

それらが、なにを目指したツールだったのか、また今若い世代にどんな資質が求められているのかから考えたいのです。

集団の秩序を重んじ、国やお上の言うこと、権威に盲目的に従う、聞き分けの良い若者をつくること。
それは工業化が中心だった時代、軍隊に人海戦術が必要だった時代が求めたことです。

現代の、これからの日本を支えていく人材に何が求められているのでしょうか。

集団の秩序を重んじ、国やお上の言うこと、権威に盲目的に従う、聞き分けの良い人材でしょうか。
責任は天皇に転嫁し、責任を持たないリーダーを育てることでしょうか。

新しい価値を創造する力と、新しい価値の創造を評価できる力、あふれかえる情報社会への耐性、また情報を選別する能力、また国際社会で通じる柔軟性を持った人材ではないでしょうか。

このあたりはいろいろ意見のあるところだと思いますが、すくなくとも「右向け右」の教育ではないはずです。



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