池田信夫さんのJBpress記事タイトル「高校無償化で『バラマキ教育』の競争が始まる」が気になりました。サブタイトルも挑発的です。しかし、読んでみても、高校無償化で地方自治体や政治が競い合うのはいいじゃないか、それがもしポピュリズムだとしても、若い世代に投資することが日本の将来につながるという人びとの思いが支えている結果で、それはむしろ健全なのかもしれません。
高校無償化で「バラマキ教育」の競争が始まる 子供を食い物にするポピュリズムは「いつか来た道」 | JBpress: 

最初はたんなる釣りなのかと思ったのですが、なにか違うなと感じたのはこの下りです。

高校無償化は、選挙権のない高校生の同意なしに彼らの税負担で消費を増やす親のエゴイズムであり、それに迎合する政治家の人気取りである。

どうなんでしょうか。もちろん親のエゴイズムもあるのかもしれませんが、高校無償化は、結構高齢層も支持してるのではないでしょうか。日本の将来を支えるのは人材だ、それを生み出す教育投資が重要だという直感があるように思います。

日本は、将来の負担になってくるムダな道路やダム、また箱モノといった公共投資、また老人福祉を優先させてきて、世界的にありえないほど子供への投資を怠ってきたのです。

大学でも、米国ならほんとうに安い費用で、コミュニティカレッジや州立大学に行けます。日本は国立も、公立でも授業料が高く、また奨学金の負担が重すぎるのです。むしろ有名私学の大学への助成をなくしても、高校無償化やもっと負担の少ない大学や専門学校の充実をはかってもいいぐらいだと感じます。

そもそも日本は教育投資をどれぐらい行っているしょうか。2015年の公的教育費の対GDP比率でみると、なんと世界で96位です。各家庭の投資を合わせても、情けない状況です。データは2009年とすこし古いのですが、GDP比総教育比率で見ても日本は公的投資が少ないのです。政府支出に占める教育支出の割合にいたっては、とても技術立国を目指す国とは思えないのが現実です。
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それにできる子は小学校高学年までに決まるというのもいただけません。たとえ、エリートがそうだとしても、なにが「できる子」なのかもよくわからないし、子供の頃に「できる子」だったはずの人が、世の中に役立つ、あるいは実績を生み出すとは限りません。それは「できる子」を集めた官僚組織や大企業が行き詰まっていることを見れば誰もがわかることです。

教育投資を充実させることは、日本の将来がかかっています。日本が近代化を世界が目をみはる速さで実現したのも、江戸時代から日本の教育水準が突出して高かったことも関係しているでしょうし、一時期とはいえ、世界を席巻するものづくり大国になれたのも、高等教育を受ける比率の高さや企業による教育投資が支えたのに違いありません。

しかし、その瞬間の景気をつくり、将来の負担の増やす公共事業と票が取れる高齢者福祉のために、教育投資を犠牲にしてきたことが、日本の産業進化を遅らせ始めてきたのではないか感じるのです。

そして、今始まっている政治の流れの変化は、中央官僚や国政がさまよい込んでしまった閉塞から日本が抜け出すために、地方が競い合って改革の流れをつくりはじめていることではないでしょうか。国民は国政で改革を進める限界に気が付き、政治課題がわかりやすい地方政治で改革を期待し、また実現させてきています。その流れを「ポピュリズム」で切り捨てるというのは少し乱暴な発想ではないかと感じます。

また、社会の健全性を保つための福祉と将来投資である教育を同じ土俵で考えるというのも違和感を覚えます。それよりも課題は、日本の教育が、時代の変化や社会のニーズの変化に対応していないことではないでしょうか。そのために人材のミスマッチが起こってきています。社会は専門性の高い人材を求めているのですが、その人材育てはとても充分とは思えません。工業化の時代の教育から卒業して、さらに進化させていくことも大きな課題ではないでしょうか。

教育も文部科学省から地方へ主体を移していったほうが改革が進むのかもしれません。