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社民党が、首相官邸裏の民間ビルにある党本部を移転させるそうです。長年使い、かつてはニュース映像でもしばしば登場した「社会文化会館」からの二度目の移転になります。党首も落選し、国会議員が4名しかいなくなったてめに、財政が厳しく、年内には年間4000万円の家賃が支払えなくなるからだそうです。
社民党の前身の社会党は、かつては野党の一党として国会で与党自民党と丁々発止とやっていた過去があります。おそらく現役世代からすれば想像だにできない勢力でした。全盛期の土井たか子委員長時代には200名の国会議員を擁した大政党だったのです。

社民党と言えば護憲政党です。というか護憲にすがるしかなくなった政党といったほうが近いのかもしれません。しかし、護憲も度を越すと、国民より憲法が上で、触れてはいけないタブーとなります。そのあり方をめぐる議論すら許さないというのでは、国民主権でもなく、それはある種の宗教です。そして、ソ連が崩壊し、冷戦時代が終わったにもかかわらず、いつまでも共産主義の亡霊を引きずり、マルクス・レーニン主義やプロレタリア独裁という発想から抜け出せなった体質とも通じるものを感じます。

いったい社民党は誰のだめの政党だったのでしょうか。働く人びとにも目を向け、耳を傾けることをせず、組合幹部との出来レースに依存したために、働く人びとを取り巻く環境の構造的な変化にもついてこれなかったのです。

働く人びとを代表する政党でも、真の味方ではないために、当然、組合の組織率が低下するにしたがって凋落の一途をたどります。さらに、組合は企業との協調路線の方向にどんどん流れ、社民党との温度差は広がっていきます。致命的だったのは民主党の誕生だったのでしょう。未組織の働く人たちの支持をごっそり奪われてしまいました。

そして、社民党の歴史は、結局は日本の国民のなかに社会民主主義やリベラルな考えかたへの不信感を広げてしまった歴史です。その罪は重いように感じます。

ヨーロッパ各国では、ドイツが典型ですが、社会民主主義政党はいちはやくマルクス・レーニン主義から決別したため、今日ではむしろ社会民主主義政党が政権を担う政党として存在感の示しています。日本の社民党とは似て非なる存在です。

グローバル化の嵐のなかで、どのように人びとの生活を向上させ、社会を健全に保つのかはきわめて重要な課題になってきたにもかかわらず、未だに「護憲」しか言えないのでは、淘汰されても当然でしょう。正義の顔をして、大きな声で反対を叫んでも、日本からリベラルを消してしまった責任から逃れることはできないように感じます。
 

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