今年は紅葉がきれいでした。日本の紅葉を見るために海外から日本に訪れる人も絶えません。奈良公園あたりも紅葉の人気スポットです。写真は土曜日にアップしましたが、奈良の紅葉を見に行ったときに寄ったのが「くず餅」の老舗、創業140年余の井上天極堂です。
この写真のもみじの木の陰になっているお店です。 奈良紅葉

食後にくず餅をいただいたのですが、店内に同じ「くず餅」でも東西では違うという新聞記事が紹介されていました。

関東で「くず餅」といえば、亀戸天神近くの江戸時代から続く、創業210年の老舗、船橋屋が知られています。別に甘党ということではありませんが、こちらもお店に行ったことがあります。

東西のくず餅をくらべると、まず色が違います。奈良のくず餅は透明です。東京のくず餅は真っ白です。

天極堂のくず餅
くず餅
船橋屋のくず餅
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どうも原材料から違っているようで、天極堂のくず餅は、名の通り葛が原材料です。関西人だからでしょうか、船橋屋も「くず餅」の名前がついているので葛でつくっているのかと思いこんでいましたが、小麦粉を長い時間発酵させてつくっているようです。

名前のゆかりも、「葛」からつくるから「くず餅」というのと「葛飾」名物だから「くず餅」というようですが、江戸は葛が手にはいりにくかったのかもしれないと想像しています。

さてさて東西で食の文化の違いということで、ネットで騒動が起こり、それをワイドショーでも取り上げていましたが、どう見ても「やらせ」だと疑いたくなるものでした。たとえそうであっても、これだけ人口が流動化しても、地域地域の食文化が残っているというのも面白いことです。

話は変わりますが、醤油文化の違いが生まれた背景は面白いのでご紹介しておきます。関西では「うす口」と「濃口」、また「たまり」を使い分けますが、関東では、「うす口」に馴染みがないのでしょうか。それには意外な理由があるのです。

もともとは、醤油といえば近畿が産地で江戸まで船で運ばれていたのですが、寛永年間に「こいくち醤油」が考案され、千葉県の野田がその生産地として発展します。そのために一大消費地の関東で醤油の自給自足が始まります。

「うす口」は同じ寛永年間の少し後に、兵庫県龍野で生まれ、関西に広がっていきますが、もうその頃には関西から関東に醤油は運ばれなくなっており、この革新が伝わらなかったのです。

くず餅から醤油に脱線しましたが、地域独自の文化が残るというのは、日本の多様性であり、日本の豊かさにもつながっているように感じます。

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