朝のテレビの番組『羽鳥慎一モーニングショー』でやっていたのが、ピザの“耳”残す残さない論争でした。なにが面白かったかですが、羽鳥さん、玉川さん、石原さんたち男性陣は、どうも美味しいピザの”耳”を食べたことがなさそうだということと、ついさきほどまで、食品廃棄が多く、食べ残しがもったいないとやっていた当のご本人たちが、話題が変われば、”耳”を残すと言い出した違和感に気づかなかったのか、平気で話を進めていたことです。
最初の問題ですが、一般には残す人は少数派だそうですが、残す人の残す理由は”耳”はチーズなどのトッピングがないために、味がないからだそうです。コメンテーターの男性陣もそうでした。羽鳥さんはさすがに、美味しいとは思わないけれど、もったいないから義務感のような感じで”耳”も食べ残さないそうです。

ところがこんなことがあります。子供は正直です。美味しい生地のピザ、あるいは美味しいパンだと、きれいに食べつくして”耳”も残しません。ところがそうでないと、”耳”どころか、中味も含めて食べ残すことがあります。それでも食べ残してはいけないというのが躾なのでしょう。

つまり”耳”があまねく美味しくないのではなく、ピザやパンによるということなのでしょう。なにを隠そう、私自身もそうです。生地が美味しくないピザも、パンも”耳”はついつい残してしまいます。

つまり生地そのものも美味しく、だから”耳”も美味しいピザはあるのですが、羽鳥さん、玉川さん、石原さんには、きっとは味気ない”耳”を食べてしまった経験があり、それがトラウマになって、”耳”は美味しくないと思い込んでしまったのではないでしょうか。思い込みに支配され、それが習慣化すると、疑うということもなくなります。

ちなみに、本場イタリアでは日本のように切り分ける習慣がなく、一人一枚が標準のようで、食べきれずに残すことも多いようです。こちらも理由は異なります。

もうひとつの問題です。世のなかはイメージによって同じ問題でも異なる結論をだしてしまうことが多いということです。
産廃業者の「ダイコー」や、食品業者の「みのりフーズ」が起こした不正転売問題から始まり、日本は廃棄される食品が多すぎるという問題まで議論が進んできています。番組が取り上げていたのもこの問題です。社会問題としては、それは問題だと思っても、身近な自分世界では、”耳”は平気で残すと異なる価値観が働いてしまって、それに気がつかないことが多いのです。そっちはそっち、こっちはこっちで別問題だと思い込んでしまう。本人は、なにの違和感もないとしても、第三者から見れば一貫性がないと感じてしまうのです。

私たちは思い込みの住人です。しかし、思い込みの弊害は案外大きく、それを避けるために、異なる考え方や感じ方を尊重し、耳を傾けます。それが多様性を重視するということでしょう。

とくに、先進国を目標に、追い抜け追い越せとやっていた時代は、疑うこと、多様性はどちらかというと邪魔者でしたが、自らが価値を創造しないといけない時代には、多様性こそが、思い込みの蟻地獄から逃れ、創造を広げるためには重要になってきますね。


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