ジャーナリスト後藤さんの殺害は、後藤さんのこれまでの活動を知れば知るほど、人道主義、人の良心への挑戦そのものであり、ISIL(イスラム国)への強い怒りを感じると同時に、後藤さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

それにしても、今回つくづく感じたのは日本の政府の非力さでした。自らの情報収集力もなく、コンタクトするための地元でのネットワークもないなかで、ヨルダンに頼り、あるいはおそらくさまざまなエージェントに頼っているのでしょうが、ご本人の問題ではないと思いますが、現地対策本部の中山外務副大臣がなんらコメントできない状態だった姿がそれを象徴しているようでした。
そんな体制で、「断固としてテロと戦う」というのは威勢はいいのだけれど、具体的にはどうするのでしょうか。そんな簡単なものではないと感じます。

しかし、無理もないと思うのは、現地対策本部は、外務省が中心になっていたようです。外務省は正式な国家が相手の仕事です。それを超えて仕事をすることにはかなり無理を感じますし、下手をすると危険も伴います。

思い出すのは2003年のイラクで、復興支援活動に関する「国際機関/NGO復興会議」へ出席するためにバグダットから開催地への移動中に自動車を襲われ、おふたりの大使館員の方が亡くなられた事件です。
イラク北部で日本人外交官2人殺害 並走車から銃乱射

それにしてもマスコミはどうなってしまったのでしょうか。安倍内閣の対応に疑問を持ったり、異を唱えることは、ISILの思う壺だと、連日言論を封じるかのような報道が繰り返されています。それってなにか戦前にでも戻そうということでしょうか。

いまのタイミングなのか、もう少し落ち着いてきたタイミングがいいのかは別にして、今回の安倍首相の発言や行動、また内閣の対応は検証を行い、テロリズムとどう向き合うかの考え方や、情報収集と分析、また他国との連携をはかる体制づくりのための国民的なコンセンサスが重要になってくるはずです。そのためには、大いに議論しあうことが必要ではないかと感じます。

ISILが原油安もあって資金源を失いつつあること、また士気が低下してきたのか、あちらこちらの戦闘地域で劣勢となってきているようですが、ISILが勢力を落としたとしても、また違う組織が台頭してくるのが、このイスラム原理主義で、おそらくかなり長期にテロの脅威は消えません。

誤爆で家族が犠牲になり、逆にテロで家族が殺され、憎しみが憎しみを生む構図が中東にあり、世界の景気後退で、職もなく貧困に陥り、孤立感を持つ移民の若者が
、みずからの生きる証を求めて戦闘地に向かう流れがある限り、テロリストは増殖していくのです。ISILにも海外から2万人もの若者が流れてきているともいわれています。

そんなテロリズムの恐怖の時代に、どう日本は立ち向かうのかの知恵をもたないといけないように感じるのです。国家間の係争はまだ、軍事的な抑止力によって、また外交努力によって解決できる可能性が残されていますが、テロの脅威はそうはいきません。

テロに特効薬はないのでしょう。アメリカやイギリスのように強行にでればますます反感を増幅し、脅威を高めるばかりです。またテロリスト集団の要求を受け容れることも、それはそれで次のテロ行動を促します。そういった結論のでない議論よりは、もっと日本が標的にならないための別の道を考えるしかないのではないでしょうか。

素人考えかもしれませんが、後藤さんの遺志を受け継いで、貧困への闘いの先頭に日本政府が立ち、お金だけでなく、人材をいれ、汗をかく仕事を率先して行うことではないかと感じます。現地で汗をかくことって重要な気がします。

イスラム世界から支持、共感、信頼を得ることができれば、おのずと情報のネットワークも、いざという時にパイプ役を担うネットワークも広がってくるのではないでしょうか。急がば回れです。

追記:今日は一週間ぶりに食事をいだきました。病院食とはいえ、昨今は結構おいしく、やはりいいですね。点滴も今のが最後だと思います。ずいぶん体調も良くなり、きっとあと2〜3日で退院できそうです。