突然ジェットコースターのような揺れに目が覚め、しばらくは何が起こっているのかもわからず、揺れが収まるのをただただ待っていたことが、今でも鮮明な記憶として残っています。当時は、大阪の千里近くの丘陵地帯に建つマンションで暮らしていましたが、神戸からは離れていたものの、最上階であったためか、揺れはかなり激しいものでした。もしかすると建物が倒壊してしまうのではないか、そんな恐怖も一瞬かすめました。あの阪神・淡路大震災の朝からもう20年ですか。
揺れが収まり、落ち着いてからテレビのスイッチを入れると、震源が神戸だということは分かりましたが、強い地震が起こったことと余震への警戒を繰り返すばかりでした。

あの日は月曜日でしたが、神戸市の得意先で会議の予定が入っていました。得意先の状況を知ろうと、電話をかけましたが通じません。やがて阪神高速道路が倒壊した映像がニュースで流れ、会議どころではない、とんでもない事態が神戸を襲い、大惨事が起こったことがようやく理解できました。もし地震発生が遅れていたら、震源地の神戸で被災していたのかもしれません。

神戸・淡路大震災では、さまざまなエピソードとなる体験をしました。被災地にボランティアで行った、当時は中学生だった次女が、あまりの惨事を目の当たりにして呆然とした瞬間をカメラマンが捉え、途方に暮れる被災少女として写真雑誌に載ったということを知り合いの人から教えてもらったこともありました。

神戸は六甲おろしで寒い土地です。神戸に立ち入ることができるようになり、きっと暖房もなく、みんな困っていらっしゃるだろうと、携帯カイロを大量に買って、まずは、得意先を見舞いに訪れたときのことです。バスを降りて歩いて行くと、周辺の住宅が、ことごとく倒壊していて、まるで巨大な映画のセットのような光景が
そこには広がっていました。この世、現実だとはとうてい思えないものでした。

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住家被害と延焼被害の様子 阪神・淡路大震災の災害写真 - 地震情報サイトJIS

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【災害派遣】阪神基地隊
長田地区は、大火災に見まわれましたが、神戸が見晴らすことができる千里あたりの高台からは神戸のあちらこちらから煙が昇っているのが見えました。

阪神・淡路大震災があって、その後の20年の間にも、新潟中越地震や東日本大震災などが起こっています。地震に限らず、水害もあり、火山の噴火もあり、またリーマンショックのように突然、世界の経済を襲った危機もありました。いつ何時、なにがあるかわからない、それが自然であり、また世の中なのでしょう。

それを考えると危機への感覚を研ぎ澄まし、それに備えることがいかに大切かを思い知らされます。

日本の抱える深刻なリスクのひとつに、東京への一極集中があります。もし東京に阪神・淡路大震災級の直下型地震が起こると、かつてない犠牲者、また経済被害となるだけでなく、日本が機能不全に陥ります。
東西冷戦で国を引き裂かれ、戦争の危機を抱えつづけてきたドイツは、リスクを回避するために中核となる都市機能を分散させています。またそれで職住近接が実現でき、地域コミュニティと、人びとの生活の豊かさにもつながりました。

防災という点では、建物の耐震性を強化することや、いざというときの避難経路や避難場所の確保などの備えも重要であるということは言うまでもないことですが、国のカタチそのものを、一極集中から変えていくことも重要だと考えます。東京だけでなく、第二、第三の日本の中枢都市を育て多極化を実現する、大阪都構想も、そんな視点からも眺めてみてはいかがでしょうか。