そうブログで朝日新聞にアドバイスしているのは、ケント・ギルバードさんです。
それがネットでは話題になっています。それぐらい朝日新聞が誤解を世界に広めてしまった従軍慰安婦問題の影響は大きく、その責任をとるというのはジャーナリズム云々と言う前に、企業としても当然でしょうし、問題の大きさから考えれば、普通の企業なら社会から追放されてしまいます。
朝日新聞へのアドバイス|ケント・ギルバート ブログ『ケント・ギルバートの知ってるつもり』
ケント・ギルバードさんが書かれているように、日本だけでなく、韓国も被害者だと感じます。とくに韓国の若い人たちはその当時を体験していないので、国をあげて日本軍が強制的に従軍慰安婦として連行して「性奴隷」にしたと言えば、憤りを覚えても当然です。「日本はなぜ謝罪しないのか」となります。

朴槿恵大統領が慰安婦問題を外交で利用していますが、この情報化の時代にあっては、やがてその根拠を失い、しかもブーメランのように韓国自体に戻ってくる可能性のほうが高いと思えます。慰安婦像を建てることに熱心な「市民団体」もかなり怪しげです。

韓国の若い世代では、保守的な韓国で、女性が慰安婦になることなどありえず、だから日本の軍隊が無理やり連行して慰安婦にしたと短絡的に思い込んでいる人がいるのです。

歴史は都合よく解釈したいものです。都合の悪い事実には目を向けません。しかし、朝鮮戦争や、ベトナム戦争をもちだすまでもなく、韓国はかつてはキーセン観光として、売春で外貨を稼いでいた時期がありました。つまり売春をするキーセンを国をあげて観光資源としていたのです。


私たちが若いころは、男性ばかりで韓国に旅行に行くと聞くとなにか恥ずかしい思いをしたものです。そういった売春が韓国で禁止されるのは2004年で、日本で売春防止法が施行された1956年からは半世紀ほど遅れてのことでした。そのことは韓国ではまったく話題にすらなっていないようです。
妓生(キーセン) - Wikipedia

朝日新聞の吉田証言が嘘だったことを受け、それでも「強制性」があったというところに慰安婦問題は移っていくのだと思います。しかし、売春は、古くからなんらかの「強制性」はともないます。「強制性」があって売春は産業として成り立つのです。。

日本の遊郭も、売春防止法が施行されるまでは残っていました。子どもの頃、すぐ近くに遊郭があって、ずいぶん町も賑わっていたのですが、ある日を境にすっかり町が寂れてしまいました。売春防止禁止法が施行されたからです。大阪には飛田新地や松島新地などが残っていますが、かつての遊郭とはかなり違うのではないでしょうか。

そんな遊郭の世界も、今では、映画やドラマ、また落語などの古典芸能で知ることのできる程度ですが、その遊郭にいた遊女の女性が自主的に遊女になったのでしょうか。ほとんどの遊郭で働く女性は、貧困、借金、また誘拐などで、直接的、また間接的な「強制」があって、遊女になったのです。韓国のキーセンも同じだと思います。

日本の場合は、軍が強制的に慰安婦を集めたという証拠もなければ、また官僚組織であった軍がそうするとは思えないことです。しかし、日本や韓国から慰安婦を集めた背景には、日韓の業者による強制性があったはずです。しかも、慰安所を軍が利用していた事実、軍が管理に関与していた事実は消せません。

売春の習慣や売春に対する考え方は当時と現在では大きく違ってきました。そもそも私の世代を含めて、今の世代では、それすら実感できません。

日本で気ががりなのは、都合の悪い歴史には蓋をして、美化する保守論壇ビジネスが横行し、その影響をうけた人たちが一部に生まれてきていることです。日本軍は立派で武士道のかたまりだったと。きっと、勝新太郎の『兵隊ヤクザ』などに代表される、戦後に流行した軍隊ものの映画も見ていないのでしょう。私たちの世代も軍隊の実態は体験していませんが、軍隊体験者もそういった映画を見て憤るどころか、溜飲を下げていたことから想像するに中味は決して誇れるというものではなかったはずです。

しかも軍隊による非道な行為も、日本だけではありません。ベトナム戦争ではアメリカや韓国の軍隊が非人道的な行為をおこない、アメリカでは、そのことが映画化されたり、その後遺症に苦しむ人たちがかなり後まで残っていました。戦争とはそういうものだとしかいいようがないのです。

しかしだからといって、強制連行のつくり話を記事として連載していいということにはなりません。もうその波紋が世界に広がってしまったのですから、訂正ではなく、企業の資産を売却してでも、謝罪のキャンペーンを世界にむけて行うべきでしょう。でなければジャーナリズムとしての信頼性は取り戻せません。

いや、そうすれば朝日新聞は信頼できる良心のメディアとしてのブランドを再構築できます。朝日新聞が変わる最大のチャンスが来ているのです。
防災訓練に関して質問された舛添知事から、「なぜ防災の日に取材に来ないのですか。恥ずかしいと思わないですか」と逆に問われるようなメディアの惨状のなかでは一歩も二歩もりードできるのではないでしょうか。
【舛添知事会見詳報(下)】「なぜ防災の日に取材に来ないのですか。恥ずかしいと思わないですか」+(1/10ページ) - MSN産経ニュース

週刊誌の広告も黒塗りで掲載し、一旦掲載を中止した池上彰さんのコラムも掲載すると方針を一変させましたが、朝日新聞社内も揺れ動いているようです。 感じるのは重要な経営の意思決定を、烏合の衆が集まって行なっているという企業風土です。
池田信夫 blog : 朝日新聞の「記者の反乱」

記事の誤りを認めた勇気は評価しますが、いったん認めた限り誠心誠意、自らが広げてしまった影響を打ち消す努力をしてこそ、企業の社会責任をまっとうすることであり、ジャーナリズムの良心だと思います。でなければ権力への批判にも迫力がなく、与太話にすぎないということになってしまいます。

ここは朝日新聞の自浄能力、カンのいい思い切った経営判断に期待します。