今日はアゴラに記事を投稿しました。
また日本版「ハフィントン・ポスト」がスタートしていますが、先日の記事につづいて今日もこのブログ記事を取り上げていただきました。
執筆業をやっているわけでもないのに、アゴラのようなブログ論壇に自由に投稿できたり、ブロゴスやハフィントン・ポストなどで取り上げてもらえ、より多くの人に読んでいただけるというのも時代を感じます。
さてさて、メディアということでは、少し前に、昨年3月に有料化した電子版が伸び、ニューヨーク・タイムズが前年同期比で73%の大幅増となったこと、また紙が77万9731部、電子版が80万7026部となり、電子版が紙の発行部数を初めて上回った記事が日経にでていました。時代の変化を感じます。

周回遅れの日本の新聞メディアですが、雑誌FACTAに、電子版に力をいれている日経と朝日の動向をつたえる記事が載っていました。どちらも電子版の契約数を伸ばしているようです。

先行した日経のほうは、早ければ13年5月中にも30万人に達する見通しで、しかも契約予備軍の無料登録会員も150万人を超える勢いだそうです。朝日も出足はつまづいていた感がありましたが、3月上旬に10万人突破、この5月には13万人弱となるそうです。セットで契約すれば電子版が500円の追加で買えるというキャンペーンが効いているとか。

有料の電子版で先行する日経と朝日ですが、読売新聞が紙の発行部数にこだわっているうちに、さまざまな試みや経験を重ねて引き離していることは、やがておもしろい結果になってきそうです。

そういえば、国民栄誉賞受賞をうけて官邸に招待された松井選手と長島監督の姿といっしょの渡邉老人の姿が映り、まるで読売が国民栄誉賞を受けたかのようで、せっかくの栄誉賞のイメージを損ねた感がありました。その渡邉さんが引退するまでが、とくに朝日新聞にとっては勝負どころになってきます。

紙の時代は、朝に新聞を広げて隅から隅まで目を通し、記事を読むだけでなく、世の中のできごとや変化を感じ取る、また社説を参考に考え方を持つというのが、新聞の文化だったと思うのですが、電子版であれ、無料のネットニュースであっても、ネットがニュースを読む主なメディアとなってくると、むしろ記事のラインを流し読みして、関心のある記事を深く読むという風に変わってきます。

しかし、そういった読み方は、昔、仕事柄、一般紙や経済誌、業界紙をいくつも購読し、朝一番には記事チェックをしてスクラップをつくっていた頃と近いものを感じます。スクラップを整理する専任スタッフまでいたものです。今は、ソーシャルブックマークや検索機能のおかげで、切り抜く手間がなくなったこと、購読していないものも読めるようなったことも大きな変化です。

いくつものメディア、しかもソーシャルメディアの記事まで読めるようになって感じるのは、日本のメディアが切り口も、伝え方もほんとうに金太郎飴だということです。個性といっても右か左かの化石ような切り口の違いしかないと感じます。たとえば日本のメディアだけでなく、海外紙でも日本語版をだしているところが結構あるので、目を通すだけでも、違う角度の情報が得られるので面白いです。

同時に、そういう変化がメディアに接する側の文化も変えてきていると思うのですが、その変化に、新聞やテレビなどの報道がついてきておらず、ギャップが生じ始めていることを感じます。

ほんとうに複雑な時代になってきました。情報をいくつかの視点から吟味しないとなかなか読み解いたり、判断できない時代です。しかし逆に複雑だから、よけいにレッテルを貼って黒白を決めつけたり、ワンフレーズで決めつけるという風潮に社会が流されやすくなってきているのかもしれません。