概念(コンセプト)のブレークスルーをどう生み出すのか、またそれにチェレンジし、生み出せる人や組織、仕組みをどう築いていくのか、そこにこれからのビジネスの大きなテーマがあるという視点に共感させられるのが、『リ・インベンションー概念(コンセプト)のブレークスルーをどう生み出すか』です。神戸大学の三品教授と、まさに「ゆとり世代」として批判の的になっているゼミの学生の人たちの共著です。

リ・インベンション: 概念のブレークスルーをどう生み出すか
リ・インベンション: 概念のブレークスルーをどう生み出すか [単行本]

日本でもイノベーションということがさかんに言われてきました。著者の神戸大学の三品教授が書かれているように、イノベーションを追い求め、イノベーションを担ってきた日本の名門企業が、次から次へと経営不振に陥っていく現実を目の当たりにして、はたして日本の企業が求めるべきはイノベーションだったのかという疑問も沸いてきます。

おそらくイノベーションという手垢がついた言葉、また受け取る人によって理解が異なる言葉ではない、新しい概念が求められてきているのかもしれません。

イノベーションの悲劇ともいえる典型例として、織機があげられています。かつて、手で織っていた明治の頃に、女性が機織り機で一着分の布を織っていた時間で、いまでは1000着分も織れるのだそうです。とてつもないイノベーションが起こったのですが、その織機を製造しているメーカーが利益を上げているかというと、儲かっていないのです。しかもそんな織機が途上国に置かれ、衣料品を消耗品にまで価格を下げる結果になったのです。

日本は携帯電話の高機能化に向けたイノベーション、さらにi-Modeというイノベーションを生む出したにもかかわらず、技術的にはさほど新しいとはいえないスマートフォンに駆逐されてしまいましたが、何が違ったのかです。

それは概念そのものを変える、あっと驚かせる発想を持ち込んだからでしょう。アップルのスティーブ・ジョブズは今日の人々がなにを求めているかをよく知っていたのです。つねにジョブズが世に投げかけてきたのは、「あっという驚き(サプライズ)」でした。そしてアップルがサプライズを生み出せなくなっても、さまざまなアプリやコンテンツがサプライズを生み出す仕組みまで築いたのです。
そして「あっという驚き」を出せなくなったとたんにアップルは、直近の四半期決算で売上は対前年同期で11%伸ばしたものの、利益では18%の減少となってしまいました。減益は10年ぶりだそうです。

より高度なモノを生み出すことで、市場が赤字の海になってしまったのが、液晶テレビでした。またデジタル・ハイビジョンがテレビを変えるといわれていたものの、実際は液晶テレビの価格は恐ろしい速度で下落していったのです。そして液晶テレビは利益がでるどころか、巨額の赤字を生み出す元凶となってしまったのです。

なぜでしょうか。いくら画質が良くなっても、それは見慣れたテレビ番組やDVDを見る機器にすぎず、はじめて白黒テレビが登場した時の人々の驚き、またカラーテレビが出てきたときの衝撃に比べれば、「あっという驚き」ではなく、「技術も進んだものだなあ」という感慨で終わってしまい、特別な価値にならなかったからです。

テレビで儲けたのは、高度な技術開発にチャレンジしてきた会社や人々ではなく、ハリウッドであり、日本では吉本興行や、AKB48を世に登場させた秋元さんなどコンテンツ側の人たちだったというのが現実なのです。

しかも今では、ものづくりの自動化、マイクロプロセッサ革命が起こってきたために、途上国でも資本さえあれば、どこでも高品質なモノがつくれる時代となりました。韓国も、中国も、そしてASEANの国々も、産業が一歩一歩進化してきたのではなく、一挙にハイテクが怒涛のように流れ込んだのです。そして、あっというまに技術がキャッチアップされ、先進国のものづくりが脅かされる時代になってしまったのです。

そんな時代に日本がなにを生み出していけばいいのかは日本が抱えている大きなテーマです。面白い捉え方で、その通りだと思うのは、日本の戦後の歴史を眺めると、そこに大きな変化があったということです。

まずは食料が不足していた時代があり、さまざまな食品産業が興り、成長しました。それに続いて、みんなが求めたのは便利で生活を豊かにする製品でした。どんどんつくって、安く提供することで人々が豊かになれるという松下幸之助の水道哲学が一世を風靡しました。そしてかつてはテレビから流れてくるアメリカのホームドラマを見て、その物質的な豊かさを得ることが目標になった時代でした。

しかし今はどうでしょう。モノは溢れています。人々が不足していると感じるのは、より充実した時間の過ごし方とか体験です。どうすれば退屈でなくなるかとか、どうすれば豊かな時間を過ごせるのだとうかといった精神的な満足に移ってきています。

過去の時代のニーズにそって生まれた技術をいかに磨き、進化させても、人々の意識や価値観は別のところに向かってきてしまい、ギャップが生じてきているのです。もはや計測できるような機能や性能は感動を呼ばない時代にはいってきています。

自動車でも、かつてはスペックを性能を訴えるオンパレードでした。今では数値の訴求が効くのは燃費ぐらいで、あとはスタイルとか、操縦感とか、乗り心地などの計測できないところに焦点が移ってきたことをひしひしと感じます。

だから、過去の成功の延長線上で、製品の進化をはかるイノベーションの発想ではなく、製品やサービスの概念を変えることにチャレンジすべきだ、それは「リ・インベンション」と呼ぶことのほうがより目標や焦点がはっきりするというのがこの本です。この本のなかには、いくつかのリ・インベンションといえるものが例としてあげられており、手垢がつきはじめたイノベーションとの違いをよく示してくれています。

いくら努力しても利益がでない蟻地獄から抜け出すために、発想を変えてみる、そのヒントを得るためにも必読の一冊だと感じます。きっとはっとさせられ、またわかりやすく、納得もできる示唆に富んだ一冊です。それにしても、もちろん三品教授のプロデュース力、指導力が大きいとはいえ、この本の中の多くを書き上げた今時の学生さんの力の凄さを感じます。