4日にお亡くなりになられた元国立民族学博物館長の佐々木高明さんの遺稿ともいえるのでしょうか、東洋経済のインタビューによる連載記事があります。日本のもつ潜在力の本質や今後に対する唆に富んだとても大切なことをおっしゃっているように感じます。
佐々木さんは、「日本文化は一つのもので、日本人は単一民族だ」という考え方に異論を唱え続け、日本には縄文時代から非稲作文化があったことなども研究されてこられた方です。明治以降に作り上げた「日本は単一民族で、一つの文化しかない」という、ナショナル・アイデンティティの殻、あるいは呪縛から抜け出すことが、グローバル時代には重要になってくるということを指摘されています。その通りだと思います。

日本が多様な文化を持っている国であり、しかもいかに開かれた気質を持ち、海外の異文化をも尊重し、柔らかく取り入れ、またそれを洗練させ、進化させてきたかを知るにはなにも書物で学ぶ必要もなく、さまざまな文化財や地方に残る風習などに触れると体感できることです。そして旺盛な創造力を持っていたことにも感動させられます。

以前に、日本の伝統芸術である舞楽(雅楽)が、渤海や朝鮮半島を経て流れてきた様式とインドから流れてきた様式を長い歴史を経ても大切に残してきたことを紹介したことがありますが、それもひとつの例です。

日本は、明治時代に近代化を推し進めるために、日本の多様な伝統や文化を否定し、また伝統や文化の破壊も行なって、中央集権体制と単一なナショナル・アイデンティティを実に見事につくりあげてきたのです。

そのために、多くの日本の文化財までもが破壊され、また存続の危機に見舞われました。民芸運動などもそういったナショナル・アンデンティティによって失われた日本の文化の再発見をめざしていたともいえます。

最近の研究では、日本列島の先住民である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人とが混血を繰り返して現在の日本人になったとする「混血説」を裏付ける遺伝子解析もなされているように、純血の日本人などいないのです。それも遺伝子解析をまつまでもなく、地方の資料館に行ってその土地の歴史資料を見ればわかります。

日本の「保守」も、明治政府が作り上げたナショナル・アイデンティを守ろうとしているのか、あるいはそれも含め、日本のもっと長い歴史や深い文化を守ろうとしているのか定かではなく、そのあたりに限界を感じます。そこには日本の明治以前と以降では大きな歴史の断点があるのです。

いずれにしても、日本が急速な近代化をはかれたことも、明治政府が行った中央集権体制が実現したというだけでなく、もともと持っていた日本人の資質の高さ、江戸時代の都市部では識字率が8割もあったという世界では例を見ない教育レベルの高さもあったのではないかとも思っています。

昨今はネットからリアルの世界に飛び出して、「在日帰れ」、「殺せ」と日本人として恥ずかしい言葉を平気で叫び、まるで中国や韓国で起こった「反日」と連動しているかのように、国家利益を損なう行動を行なっている人たちがいます。しかし、彼らが日本の純血を守れと叫んだとたんに日本の歴史や文化を理解していないと感じます。

工業化の時代からの進化のステップで日本は停滞してしまったのですが、それを打破するには、日本が潜在的に持っている文化や価値観の多様性、異文化を受け入れる柔らかさが鍵になってくるのではないでしょうか。多様な価値を生み出すためには重要な資質です。

そういった多様性を取り戻すためにも、地方分権や地方の復権が重要になってくるでしょうし、明治の頃の近代化、あるいは戦時体制のためにつくられ、洗脳され生まれた発想から抜け出すことが求められてきているのだと思います。安倍さんが「美しい日本を取り戻す」というのは賛成ですが、明治以降に行なってきたことの功罪の検証も必要だと感じています。

佐々木高明さんに心からご冥福を申し上げるともに、日本にとって大切だと思う点を、わかりやすく語って、記事として残してくださったことを感謝します。

上記のリンクから、連載記事をお読みになることをお奨めします。