いつも社説って不思議なコラムだと感じています。誰にむかって主張しているのか、また立ち位置もよくわかりません。政治をペンの力で動かそうとしているのか、読者が考えるための視点を提供して、よりよい判断をしてもらうことを目指したものなのか、あるいは読者を煽って社会的な影響力をつくろうとしているのか、社説はいったいなにのためにあるのかと疑問を感じることが多いのです。
たとえば日経が、社説で「起業を増やして経済の活力を高めよう」という主張をしています。まずは現状を説明し、さしさわりのない話がつづきます。
起業を増やして経済の活力を高めよう:日本経済新聞 : 企業創出の重要性は長らく指摘されてきたが、数字で見る限り情勢は甘くない。日本の新規株式公開は2000年の204社がピークで、その後、減少傾向をたどり、去年は46社だった。1年間に新規に生まれる企業の数を全企業数で割った開業率も、米英が10%を超えているのに対し、日本は5%程度にとどまる。だが、目を凝らせば、変化の予兆もみえる。若い世代を中心に「自ら企業をつくろう」という機運が徐々に高まっているのだ。
そのとおりでしょう。しかも冒頭に書かれているように、日本経済の成長にとって、あるいは活力を取り戻すための重要な課題のひとつは、「次の時代を切り開く新しい企業を育て、停滞しがちな日本の産業の新陳代謝を促すこと」というのも正論です。
しかし、結論のところになると、おやっと感じてしまいます。
この流れをさらに強くするにはどうすればいいか。ひとつは大企業が自前主義を改め、ベンチャー企業への出資や提携を積極化することだ。米シリコンバレーでは大手とベンチャーの提携が日常茶飯であり、両者の連携でイノベーションが加速するなど地域全体の競争力を高めている。日本も新興企業に門戸を閉ざさない、よりオープンな企業社会をめざしたい。
オープンな社会を目指すというなら、条件反射のように、記者クラブという特殊で閉鎖的な制度を日経はどう考えているのかと疑問が湧いてきます。オープンな社会と言ったとたんに自らのあり方も問われてきます。
オープンな社会とは、新興勢力に対しても機会均等でフェアな社会だということです。日経はこの社説をもって新しいメディアに対してもフェアなスタンスで望む、記者クラブ制度の見直しにも尽力するという宣言なのでしょうか。海外を例に出すなら、海外はメディアはもっとオープンなところで競い合っていて、新規のメディアを排除しません。
確かに日経の社説が書いているように、政府が規制緩和していくことで、そこに新しいビジネスのチャンスを生み出すことで意欲のある人のチャレンジの場を広げていくことも重要ですが、日本の場合は企業との新規取引を行うことへのハードルが高いことも起業を困難にしている原因だと感じます。提案しようとしても門前払いで、相手にされません。
だから、成功した企業のなかには、まずは日本ではなく、オープンで入り込みやすいアメリカで実績をつくって、日本での取引を広げたというところも少なくありません。日本独特の組織の閉鎖性ですが、まずは魁より始めよで、オープンな社会づくりが重要だと主張するのなら、日経自らがオープンな組織になって行くことが問われてきます。
それにオープンな社会にしていくことは、いったい誰が判断しているのかよくわからない匿名性をなくしていくことです。誰が責任をもっているのかを明確にすることです。組織だけではなく個人も責任を持つ文化が求められてきます。
起業というのは、個人がリスクを取るということであり、個人がリスクを取らない組織の文化は決してフェアだとはいえません。
その意味では、日本の社説というのは誰が書いているのかのクレジットがありません。新聞社のクレジットの陰に隠れて、個人は責任を持たずに書いているに等しいのです。オープンな社会というのなら、そのあたりも問われてくるのです。
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