
ゆとり教育への不満なのか、体罰を容認する人もいるようで、体罰を受け自殺した桜宮高校生男子生徒に関する学校側の説明会で、学校側の説明に拍手をしていた父兄もあったといいます。しかし、これはたんにスポーツを理解していないだけで、今では一流選手や一流コーチで体罰で選手強化ができると考えている人はいません。
厳しくハードな練習と体罰は関係がなく、精神力も体罰によっては鍛えられるものではありません。かつての体罰やいわゆるスポ根で育った選手は、逆に、いざという厳しい局面ではメンタルでの弱さがでてくることは日本のスポーツ界が学んできたことです。強制され、やらされている選手と、自らの意志でやる選手では強さが違います。
スポーツの指導は本当に難しく、技術を教えるだけでなく、チームづくり、練習メニューづくり、選手のメンタルケアやモチベーションアップなど、どれをとっても創意工夫が必要です。指導者の役割や指導者の能力によって、選手のレベルアップやチーム力アップへの影響は大きいともいえます。だから指導者のメンタルな負担も大きいのですが、体罰はたんに指導者の欲求不満のはけ口でしかありありません。
しかし体罰なのか、そうでないのかの境界線がどこにあるのかはしっかり議論しておいたほうがいいと感じます。暴力を振るうことと、厳しいしつけを行ったり、身体を張って教えることとは異なると思えるのです。あきらかな境界線があるはずです。
ふつうはその境界をわきまえている指導者が多いはずですが、指導者教育ができていない競技では、指導者と生徒が一体となってリンチを平気でやるという事件も起こっています。
また、こちらのブログにもあるように、体罰と、生徒の暴力や他の生徒への迷惑行為に厳しく対処することを混同すると、先生はなにもできない、見て見ぬふりをするだけで、少しもめただけで警察を呼ぶということになってしまいます。
スポーツの場合はその点では線引しやすいのではないでしょうか。例えば、同じミスを繰り返したときに、グランドを走らせるとか、腕立て伏せをさせるというのは、場合によっては、選手の気分をかえる効果がないわけではありません。それにグラウンドを走ったり、腕立て伏せをやるのは選手の体力強化にはプラスにもなります。
頭をコツンとやる、お尻をひっぱたくいうのと顔面を殴るのとは全く違います。頭をコツンとやるとか、お尻をひっぱたいて鼓舞しても選手は怪我をしません。自分勝手で練習を妨害するような生徒は胸ぐらを掴んで睨みつけても厳しく指導しなれば、その生徒になにが良くてなにが悪いことなのかの指導もおそらくできません。
しかし、今回自殺した生徒は親が顔が腫れているので、体罰があったことに気がついたそうですが、これはもう体罰を超えた完全な暴力です。刑事事件です。選手を怪我させるというのは指導者としては最悪です。指導者は選手を怪我から守る、怪我しないように厳しい状況にも耐える体力づくりを行うのが本分であって、自らの暴力で選手を怪我させるというのは指導者としては失格です。
つくづく思うのは、学校教育の場であらたな指導者教育が必要になってきているということです。競技によっては、コーチ育成のプログラムを行なっていますが、競技を超え、あるいはスポーツという境界線を超えて行うべきことも多いと感じるのです。
おそらくゆとり教育は、先生たちのしつけをも放棄させる結果を招いてしまったのです。しかも増えてきたモンスターペアレントへの対処についても、先生個人と言うよりは、学校としてどう対処するかの知恵がなければ難しいに違いありません。また、現場を知らない文部科学省の事なかれ主義ではとうてい解決する問題ではありません。
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