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東電批判は当然あるでしょうし、血祭りのようになってきているのですが、なにか変だと思いませんか。すくなくとも東電は人びとが怒りをぶつける相手の姿が見えています。しかし本来はその舞台に同時に登場すべき肝心の人たちの姿が見えなくなってしまいました。
経済産業省の原子力行政の責任者の人たちです。安全性を軽視し安易に原発推進を進めてきた電力族と言われる政治家の人たちもです。見方によっては東電だけがスケープゴートになっているのです。
話は変わりますが、ダイヤモンド・オンラインでフリージャーナリストの相川俊英さんの記事で、造ったものの、水が漏れ、水が貯まらない熊本県の大蘇ダムについて取り上げられていました。そんな漫画みたいなダムがもうひとつが北海道の東郷ダムです。いずれも農水省が手がけました。
大蘇ダムは、1979年に工事が着手されたものの、もともと基礎掘削時から亀裂が見つかり、難航を極めて4半世紀もの時を要したといいます。それで事業費は約595億円と当初(約130億円)の4.6倍にまで膨れ上がったのですが、いざ完成して水を貯めようとすると底からも法面からも水が漏れて貯まらなかったというのです。

さてケースは違いますが、次のようなトラブルがあったときのことを想定してみてください。念願の家を建てることができるようになり、分譲の宅地を手に入れ家を建てたところ、宅地の地盤が弱く、雨で盛土が流され、建ったものの家が傾いてしまって住めません。話を聞くと宅地造成時から地盤が脆いことがわかっていたというのです。おそらくその家の引渡しには応じないでしょうし、その宅地購入に支払った金額は返還を要求することになると思います。分譲し家を建てた工務店は大損です。きっと杜撰な計画をつくった担当者、地盤の欠陥をわかっていて家を建てた担当者、そしてその上司の人たちは、大きな損失を与えたことで、なんらかの処分を受けるか、クビになる、場合によっては訴訟問題に発展するかもしれません。
おそらく新聞紙面にはその宅地や住宅を売った会社、また担当者も登場し、頭を下げ、なぜそうなってしまったのかの説明も求められ、社会的な制裁も受けるのでしょう。

しかし熊本県の大蘇ダムについても北海道の東郷ダムについても、農水省の誰もが責任をとっていないし、また問われていないのです。そして出てきた言い訳が「想定外」の浸透だというのです。福島第1原発事故後に頻繁に使われた「想定外」です。

そしてさらに100億円を積み上げ補修するのですが、実際に利用できるようになるのは5年以上が必要だそうです。ほんとうにそのかけた総工費を上回る経済効果を地元がえることができるのかどうかも、ふっと疑問に感じるところですが、そんな馬鹿げた問題が起こっても、誰も頭を下げてもいないし、説明もなされていないし、誰が、また何が間違っていたのかも追求されていないのです。

日本の官僚制度の欠点は、責任を問われないにもかかわらず、巨額の予算の執行を任され、計画が決まれば自らの裁量で仕事を進めることができます。しかもいったん計画が決まると、「想定外」の問題が見つかり、予想外の費用が発生しても黙々と仕事が進められていくのです。 

任すというのと勝手にさせるのは違います。なにかが起こっても責任をとることができるから任せるのです。任せた結果のリスクを取るのがリーダーや経営者です。しかし日本の官僚制度の場合は誰も責任を問われないなかで、勝手に仕事が進んでいくのです。そんな会社があったとしたら、間違いなく経営は破綻します。

そもそも責任の所在が明確でなく、誰も責任を取らない会社に仕事を発注しますか。それがなされているのが日本の官僚組織なのです。 

そう感じているところに、池田信夫教授の「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」で、あの太平洋戦争は「詳細にみてもいつ誰が開戦を決めたのかは不明」なままに戦争に突入していったことが紹介されています。大きな問題は最終決定を避け、成り行きに任せるということが、福島第1原発の津波対策についても、「津波の確率論的安全評価が技術的に不確実であるという理由で対策の検討を先延ばしにしていた」というのです。
池田信夫 blog : 日本はなぜ開戦に踏み切ったか - ライブドアブログ :

「想定外」の日本軍の攻撃で敵前逃亡した真珠湾攻撃を受け、甚大な損失を受けた責任をマッカーサーは責任をとらされて左遷されたといいます。返り咲いたのはミッドウェイ海戦でした。誰が責任を負うのかがはっきりしているのでしょう。

日本は官僚の人たちが国のために働いてくれているという性善説ですが、すべての官僚が性善説で働いているとは限らないし、リスクも負わずに組織のなかの流れにただ乗っているだけというのではいい仕事もできるわけがありません。

責任をとらない人たちに仕事を任せるなら、政治家の誰かが「私が責任を取る」と明言し責任を果たさなければなりません。誰もが責任を取らないのなら、決められたことを決められたようにやってもらう以上の仕事を、自由にさせるというのはあまりにも無謀で、日本は危険運転状態だということになります。実際そうなってしまいました。

官僚の人たちも責任を取ってこそ、仕事に誇りもやりがいもでてくるはずなので、そろそろ「株式会社日本」の経営のあり方、つまり日本の行政の統治のあり方を変える機が熟してきているのではないでしょうか。