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死刑制度に対して反対であっても、それはそれでいいと思います。しかし司法の決定にしたがって、刑を執行する行政の長としての法相が死刑執行を命じたからといって、小川法相に抗議するというのは筋が通りません。
死刑を執行した小川法相に強く抗議します(秋原葉月) - BLOGOS(ブロゴス) :

もし抗議するとすれば、その法改正を行わない国会に対してであるべきで、法相に対してではありません。法相が司法による裁判の結果を無視して、死刑執行を行わないということは、司法の決定が法相の個人的な思想信条で、超法規的な措置をすることを認めることになってしまいます。完全にルール無視です。ルールを無視してよいのなら、行政は絶対的な権力をもち、なんでもありになってしまいます。


「被害を受けた遺族は必ずしも死刑執行によって救われてるわけでもなさそうです」とありますが、そんなことは当たり前でしょう。理不尽な犯行によって、家族を失った悲しみ、悔しさ、喪失感は、決して消えるとは思えません。

しかも抗議すると書かれたブログにはどこにも、亡くなった被害者やその家族への配慮の言葉も、また死刑を執行された死刑囚にたいする弔いの気持ちも、また死刑廃止に対して、どう取り組むかの表明もなく、まったく「自分抜き」でお門違いな法相批判だけを書く神経も理解の範囲を超えています。秋原さんという方は存じ上げませんが、プロフィールでは憲法問題とか歴史認識を中心に執筆しているとか書かれていますが、裏返せば、独裁国家を推奨しているようなもので、矛盾していることに気がついていないのでしょうか。死刑を執行することをしないのなら、そもそも法相になってはいけないのです。

「この国の人権感覚の荒廃、後退ぶりには目を覆うばかり」ということですが、それよりは秋月さんの主張のほうが目を覆いたくなります。小川法相が、「国際人権連盟の書簡を破り捨て、唾を吐きかけました」という極めて具体的な記述がありますが、ほんとうなのでしょうか。ほんとうに破り捨て、唾を吐きかけた事実があったのでしょうか。常識的にはなかったのではと思います。

国際人権連盟の理念や主張に反してということなら、そういう表現にすべきで、法相に対してなら嘘を書いても、人権を無視してもかまわないのでしょうか。結局は死刑に抗議するという目的のためには、名誉毀損も平気で、人権を無視しているのです。

海外では死刑を廃止したところが多いことが死刑廃止論によくでてきますが、それは参考になったとしても、それぞれの国の歴史、また文化、宗教観などにかかわる問題で、海外がそうだからということは説得力に乏しいと感じます。

ただ日本の場合は、無期懲役は実質的には無期ではなく、死刑と無期懲役の間に開きが大きすぎるように感じます。素人感覚で言えば、懲役50年とか、60年とか、100年があるのが自然だと思うのですが、アメリカの判決では、懲役の最長記録は4060年で、10代の少女に性的暴行を行った罪に対してでした。

死刑廃止かどうかよりも、もっと気になるのは冤罪事件です。こちらは検察や司法を疑わせ、また信頼を大きく揺らがせています。きな臭い事件もあります。冤罪をどう防ぐかのほうがもっと問われてもいいのではないでしょうか。

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