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雑感日記さんのブログを読んではっと思いました。「仕組み」を考えるといってもピントこない人が案外多いのかもしれないのです。将来にむけて課題解決のための「仕組み」を構想すること、それを考える必要性に迫られた経験もなく過ごすということのほうが普通なのかもしれません
新しい仕組みづくりを考えた経験がなく、仕組みを変えるという発想がないとすれば、なぜマスコミに出てくるコメンテーターや政治家の人たちの多くが、個別の政策に賛成とか反対だといった、アウトプットの影響について評論するしかできないのか、あるいは政局問題となるとやたら熱がはいるとかも理解できます。
『仕組み』雑感 - 雑感日記 :

仕組みはそもそも普段は意識されない
しかも、「仕組み」はいったんできてしまうと、普段はその「仕組み」そのものは意識しません。「仕組み」というプロセスではなく、関心は、なにをすれば、なにが得られるかの「インプット」と結果としての「アウトプット」だけになります。


たとえば、多くの人が宅急便を利用しています。コンビニで荷物を預けたり、あるいはセンターに荷物を持っていけば、翌日には届け先に配達してくれます。利用する人が意識するのは、荷物を出す人は料金がいくらで、配達してくれる時間帯がいつなのかぐらいでしょう。受取る側は、荷物を無事受け取れば、どこからの荷物なのかしか関心がありません。

集配から出荷まで、どのような物流の「仕組み」、また情報の「システム」が働いているのか、またデポからの配達の「仕組み」がどうなって、この荷物が届くのか、また届いたのかを確かめようとはしません。なぜあの価格でビジネスが成り立つのかなどはどうでもよく、納得のいく価格(インプット)で確実に配達(アウトプット)されればそれでいいのです。


「改善」が古い仕組みをさらに強化するジレンマ
また「仕組み」の特徴は、いったん「仕組み」ができあがると、なにか不都合があるたびに、さまざまな「改善」が行なわれ、さらに「仕組み」が強化されていくことです。その「仕組み」が、より効率的な「仕組み」が登場して、代替され、消滅するまでは、どんどんその改善のループがまわりつづけます。

しかも、いったん「仕組み」ができあがり、まして大成功などしてしまうと、いくらうまくいかないことが起こってきても、「仕組み」を捨てて、新しい「仕組み」に変えようというよりは、その「仕組み」のうえで、なにか手を打ったり、さらに改善しようとして、さらに古い「仕組み」を存続させ、悪循環を引き起こすことがあります。


たとえば、財政が悪化している、だから税収を上げよう、上げるためには、国民が納得できる行革や国会議員削減しよう、これらの発想は改革とはいいません。あくまで現在の「仕組み」を維持しようとし、「改善」しようとしているのです。根本的な解決を感じないので、希望も感じず、国民は負担感だけが増してしまうのです。


ビジネスの古い仕組みは市場が淘汰する
ビジネスの場合は、効率の悪い仕組みは市場が淘汰します。たとえば、かつてより、より効率的な「仕組み」を持った流通が登場してきたとします。消費者にとってはそちらを利用する方が、いいものでも、より安く買えるようになり、消費者はそちらのほうがより大きな「価値」を得ることができるので、当然そちらで買うようになります。
効率の悪い「仕組み」でビジネスをやっているほうは、さらに利益を削って価格に対応したり、またセールなどの経費をかけた販売促進策を頻繁にせざるをえなくなってきます。そうやって、やがて利益がでなくなってしまい、衰退していきます。

そうやって、ビジネスの場合は、市場が「仕組み」の新陳代謝を促します。しかしやっかいなのは、政治や社会の「仕組み」のほうです。淘汰してくれるメカニズム、代替してくれる「仕組み」がないために、時代に適応しなくなっていても、ただただ非効率さや矛盾をかかえたまま暴走しつづけるのです。それを壊すにはよほどの国民的合意に基づいた政治の意志と力が必要です。


高度成長期が終わっても「仕組み」が変わらなかった日本
明治維新の頃は、それまでの幕藩体制の「仕組み」を破壊したために、新しい「仕組み」をつくる必要に迫られ、欧米に見習いながら、列強に追いつく近代化をめざして、政治、経済、社会のさまざまな「仕組み」づくりが行なわれました。
第二次大戦後にも、やはり日本の経済のそれまでの「仕組み」はことごとく破壊されたために、どのようなビジネスであっても、どうやって作るのか、どうやって売るのか、また誰に売ってもらうのかの「仕組み」を自らの手でつくりあげる必要がありました。そういった激動の時代、白紙からさまざまな「仕組み」をつくる時代に生きた人なら、「仕組み」を考えることはあたりまえだったかもしれません。

しかし、日本は戦後に、奇跡ともいえる、経済の復興と高度成長を実現しました。その頃からは時代は大きく変化してのですが、基本の「仕組み」は大きくは変わらず、修正につぐ修正でやってきたために、政治も、経済も停滞してしまいました。しかし、あまりにも過去の成功が大きかったために、「仕組み」を疑うことに意識が働くなってしまったように感じます。


構想と計画の違いがわからない人がいる
まして、「仕組み」を「構想」するということはさらにハードルが高くなります。「構想」とが「計画」の違いわからない人が多いことは、先の大阪ダブル選挙でよくわかりました。「大阪都構想」には「具体性がない」と、自民党から共産党にいたるまでの既成政党の人たちがそろって批判したのですが、おそらく「構想」と「計画」の違いがわからないのだと思います。

構想は目的と仕組みを考え提示することです。計画は、その構想を実現させるための具体的で詳細なコストやアクション、またプロセスを設計することです。経営学では、構想は、どのような姿を見ざすのかにたいする共感を広げる、また人々の意識がそこに集まることが重要なため、あえて戦略的に曖昧なほうがいいとすらいわれているほどです。そのほうが、その構想の実現にむけた、さまざまな知恵やアイデアが集まり、また生かせる余地も生まれるからです。

改善することや、個別の政策に賛成とか反対とかしか考えたことがない人は、当然、その曖昧さに耐えることができません。彼らが求めているのは「大阪都計画」だったのです。


橋下改革には理解のあるジャーナリストの吉富有治さんが、ダブル選挙に維新の会が、二重、三重の行政も解消できるめども立ち、また不透明な職員給与にも手をつけることができたので、もう実質的には「大阪都」をめざす必要はなくなったのではないかとコラムに書かれていますが、それも「仕組み」という発想が抜けています。
大谷昭宏事務所/Webコラム/大阪都を目指す必然性がなくなったダブル選挙の結果 :

体制、大阪の行政の構えを変えなければ、また橋下時代が終わると「府市合わせ」に戻ってしまう可能性はないとはいえないのです。それに、国が主導し、地方がそれに従うという発展途上国そのもの、官僚主導の貧しい政治体制は変わりません。


イノベーションのジレンマに陥った日本の救いの担い手は若い世代
昨日、アゴラに日本は、さまざまな「仕組み」そのものが機能不全に陥っているにもかかわらず、「仕組み」を変えようという発想やアクションが生まれてこないのも、イノベーションのジレンマに陥っているからではないかと書かせていただきましたが、まだ日本の経済の立て直しに、どう財政を改善するか、社会保障についても、どのように財源を確保するかの話ばかり、また、行政も無駄を省くという改善発想が目立ち、根本的に日本をどう変えるのか、社会の仕組みをどのように変えるのかの議論があまりにないのです。
イノベーションのジレンマに陥った日本 : アゴラ - :

ビジネスの世界は、情報化が進むにつれ、ますます「仕組み」対「仕組み」、いわゆる「ビジネス・モデル」対「ビジネス・モデル」の競争に焦点が移ってきています。国も、地方行政も同じ事です。おそらく古い世代からは新しい発想も生まれず、また「仕組み」を変えるエネルギーも期待できないので、若い世代の人たちが、日本の新しい国のカタチづくり、「仕組み」の改革に、情熱と知恵を傾けてくれることを期待してやみません。

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