
この間、迷走を続けたと感じるのが、子ども手当と児童手当をめぐる政争でした。子ども手当を児童手当にという安易な合意は、政治が自ら責任を放棄したともとれます。
財政が逼迫しているという理由で減額を求める、それがかえって事務経費を増やすにもかかわらず所得制限にこだわった、まるで条件闘争さながらの野党の要求、またそれにたいして安易に妥協案を探った与党も理念や哲学を感じません。
社会の重要な人的資産、将来を担う子どもの問題は、政争の具にしてはいけないと以前に書きましたが、なんら建設的議論もないままに、政争の具になってしまいました。
子供は政争の具にしてはならない - ライブドアブログ:
おそらく、自公のなかでもまともな人なら、自公が政権を失ったのは、民主党がいわゆるバラマキの政策を掲げ、それを国民が期待したからとは思ってはいないでしょうが、民主党が公約の実行ができないという敵失をつくことが、もっとも有利な戦術だと思っているのでしょう。それが政権を失った原因隠しにもなります。
子ども手当が児童手当になって、それがどうした - 志村建世のブログ - BLOGOS(ブロゴス) :
子ども手当の問題は、少子化にどう歯止めをかけるのか、また将来の日本を支える人材をどう育てるのかで、じっくり国民合意を得る必要があると考えます。本来は超党派でやるべき問題です。
必要だったのは、子ども手当を、限られた財源でどう改善すれば、少子化対策、子育て支援により効果のあるものになるかであって、少子化に効かなかった児童手当に戻すことではなかったのです。
自民党の議員さんのなかにこう書いていらっしゃる方がいました。
地元を回ると年輩の人から「昔は子供が何人もいて、子供手当ても何にもなくても親が頑張ってちゃんと育てていた。そんな親の背中を見て子は育つんだ」と、言われますが、その通りだと思います。まったく認識が間違っています。親の背中を見て育つのはしつけや生き様の問題で、教育や子育て環境をよくすることとは関係がありません。この方に問いたいのは、なぜ、日本は明治維新以降に奇跡的な経済成長と近代化を起こせたのでしょう。江戸時代にすでに識字率が8割あったといわれているように、寺子屋が発達し、貧しい子どもも教育を受け、また岡山池田藩の閑谷学校が象徴するように人材を育てる社会のインフラが整っていたからです。日本に古くからあった子どもは社会の重要な資産だという視点が抜けているのです。親に任せておけばいいという発想の裏には、政治家としての責任がとろうとしない態度がにじみ出ています。
資源のない日本にとっては「人」がすべてですが、その将来を支える子どもへの投資を、日本は子育てにも教育にも怠り、先進国では逆に低い水準になってしまってきたのです。せめて先進国なみにという流れも今回の合意でかなり厳しくなってしまいました。
こちらのコラムにデータが示されているので御覧ください。
“所得制限”は晩婚晩産・共働き世帯に負のメッセージ 「子ども手当」見直しがもたらす少子化問題の深刻 ―東レ経営研究所 渥美由喜 ダイバーシティ&ワークライフバランス研究部長に聞く
子ども手当をバウチャーにするなど、もっと知恵をだし改善できたはずです。なにが課題であり、なにを目指すかという本質的な議論のないままに、政争の具になってしまったことは本当に残念なことです。
政治家は日本の将来よりも、選挙で勝つことで頭がいっぱいなのでしょう。こどもに対する投資水準を決定し、後の予算のやりくりを考えるというのが政治の将来への責任のはずです。
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