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エネルギー問題は「3つのE」、経済性(Economic)、安全性(Energy Security)、環境保護(Ecology)のバランスだといわれています。しかし3・11の福島第一原発事故を境に、もうひとつのEが加わりました。それは人びとの感情(Emotion)です。これほどデりケートで難しい問題はありません。

福島第一原発事故は、たんに原発の安全性への不安を広げただけでなく、原子力を推進し、管理・運営を行なってきた政府、電力会社、また原子力にかかわってきた人びとへの信頼をも大きく揺らがせました。原発への不安と不信が国民のなかに深く刻まれてしまったのです。

また原発事故の後の政府や東電の後手後手になってしまった対応もそれを増幅し、九電の行ったやらせメールがさらに決定打となりました。

原発維持あるいは推進を訴える多くの議論のまずさは、この国民のなかに不安や不信感が広がってしまったことを前提として出発していないことです。

いくら、電力不足は日本の産業競争力を損ねる、工場の海外移転をさらに進め、産業の空洞化が起こると言っても、それは、自らの子供の命の不安を訴える母親の前では、あるいは福島第一原発の映像、また周辺地域の状況、地域経済への打撃を目の当たりにした原発周辺の地域の人びとには虚しく響きます。

拙速的に原発の必要性を訴えれば訴えるほど、それが逆作用をもたらします。
国民を犠牲にしてまで利益を追求したいのかとなってしまうのです。これは不幸な話ですが、それが現実です。

もし原発の再稼働を求めたいのならば逆なのです。そういった不安感や不信感をもった人たちの側の視線から発想しなければならないのです。今、経団連をはじめ、産業界の立場から早期の原発再稼働を求める声があげている人たちがいらっしゃいますが、あまりにも産業界の立場からの視点であり説得力に欠けます。

産業界も、国民からの共感や信頼を勝ち得ない限り、そこに生まれてくるのは対立の構造だけです。

もし経団連に代表される産業界が、政府や電力会社に対して、原発の早期再稼働ではなく、安全基準の見直しと、現在ある原発の安全性の査定の厳格化を求めていたとしたら、展開は変わったかもしれません。

視点を経営側からでなく、国民側に移し、共感をつくりだすことからはじめなければなんらの問題解決にもならず、解決を遠ざけるだけです。重要なことは、人びととの心の絆をつくることをまずは目指す必要があったし、いまでもそれは変わりません。「脱原発」を非難しても、「脱原発」に現実性がないと主張してもなにも始まりません。


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