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ものづくりへの執着心というか、ものづくりに徹すれば日本がなんとかなるという一種の宗教のような信念、また日本が駄目になったのは、ものづくりの心を見失ったからだというのが、おそらくまだ日本の政治家や官僚、また多くの経営者の人たちの心の根っこには残っているのように感じます。
そういった発想、呪縛ともいえる考え方が生まれたのは、これまでの日本の成功体験に基づいているのでしょう。
しかし、成功体験と言っても、ものづくりの品質で日本製品の評価をえたのは、たかが20年から30年ぐらいのことであり、かつては安かろう悪かろう、ほとんどがコピーという時期が戦後長くつづき、輸出を伸ばしてきたとうのが本当のところです。
しかしそれでは限界があり、品質で欧米に追いつけ追い越せと、TQC運動などにもみんなが取り組み、必死になって努力を重ねてきたという背景があり、成功したということです。そういった成功体験をすると、思い込みが蓄積され、なかなか現実を直視することができなくなってきます。

経済学者の中谷さんが、宗旨替えをやって、そういった「ものづくりの心」を取り戻せという伝道者の役割をなさろうとしているのですが、熟年の文化徒然草雑記帳さんが「中谷巌教授の日本ものづくり論」で、「早い話が、いくら品質が良くても、世界中の人々が欲するもの需要する財やサービスを独自で生み出せない独りよがりの日本のものづくりが、暗礁に乗り上げているのである」と書かれていらっしゃいますが、まことにその通りだと思います。
「中谷巌教授の日本ものづくり論」

中谷教授だけでなく、日本がもともと長い歴史のなかで、ものづくりを大切にし、高い品質を生み出すDNAや文化を持っている優れた国だという認識をしている人が多いようですが、それについてもちょっと両手をあげて賛成とはいきません。
元来、日本のものづくりは中国や朝鮮半島からの輸入したものがほとんどです。基本技術は中国や半島から輸入し、日本的にアレンジし、進化されてきたというのが正直なところでしょう。
たとえば、日本の陶器は確かに高い技術と品質を築き継承してきました。しかしなぜそういった高い技術や品質が実現できたかというと、豊臣秀吉が朝鮮出兵で5万人にもおよぶ半島の人たちを日本に連れて帰り、そのうちの3万人が陶工だったということがあります。
秀吉は、当時は優れていた半島の陶工技術が欲しかったということでしょう。それをそっくり日本に移転したために日本の陶器の高い技術が生まれたのです。
むしろ日本が誇るべきことがあるとすれば、日本は茶道という文化を生み出したことではないでしょうか。それが質の高い陶器へのニーズを生みだし、また支え、ものづくりをも育て、継承してきたということでしょう。
当時の朝鮮半島では陶工達の身分は低く、逆に日本では陶工達が大切にされ、優れた陶器を造りつづける環境が提供されてきたということです。日本の陶器における「ものづくり」の心も、「ものづくり」に徹したからではなく、優れた茶器を求める市場をつくったからであり、またそういった市場がものづくりを支えてきたということではなかったでしょうか。

「ものづくり論」の危うさは、いったいものづくりを極めることで、どんな社会のニーズを発見できるのか、また、そのようにその社会ニーズに応えるためには何が必要であり、どのような市場を生だす機会があるのかという、本当は必要な思考を停止させかねないということです。
そういった話になると、手塚治虫さんの鉄腕アトムを超えていない議論が多すぎるという気がします。目的と手段を取り間違えているということです。太陽電池なども、ものづくりから発想した品質や技術ばかり考えているから、世界のニーズに合わず、あれよあれよという間に王座を譲ってしまったということではないかということでしょう。

「ものづくり」という視点で見るなら、世界の工場というポジションを得てきている中国を筆頭とするBRICSのほうが、世界各国から資本が集まり、伸び率も高いわけで、やがて熟練技術という点でも、追いつき追い越されることは目に見えています。いやすでの追い越された技術も多いと聞きます。

いつまでも、安いコストや生産設備の規模に強味をもつ途上国と同じ発想では日本の競争力を維持し、高めていくことはできません。
日本は、そういった途上国の技術や能力では解決できない、より高度な社会のニーズに応えていく能力を育てる必要があるわけですが、それは、ものづくりだけでなく、情報技術も駆使した仕組みのイノベーション、また文化を生み出すことも含めた総合力が問われてくるということでしょう。そうでなければ高い付加価値を生み出したり、生産性を高めていくことは無理だと言うことです。
私たちが考えるべきことは、これからいったい社会や人びとはどのようなことを必要とし、求めてくるのかということであり、そのためには、なにが必要かという課題や目標や設定し、解決するための知恵や技術を統合していく能力を持つことでしょう。
そのためには、逆に「もの」の呪縛から意識を解き放ち、発想をもっと自由に広げていくことではないかという気がします。まああまりにも話が大きいので、今日はこのあたりで。


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